肥前国東彼杵郡木原山(長崎県佐世保市木原町)の陶窯。
磁器産地として平戸焼の一分脈であるが製出品は多く下手ものです。
むしろ注目に値するのは磁器以前の朝鮮風の陶器で、佐賀・長崎両県境付近の古窯址群中で無視できないものであります。
同地の伝説によれば、木原の陶工横石左衛門の次男左三衛門という者が矢上川に移って製陶したものでこれが現川焼のはじめであるといいます。
木原付近にいわゆる現川焼風のものが多く出土します。
大正年代まで木原山の代表製作品として知られたものに木原茶出し(土瓶)があります。
青黒色の釉を施した型製の陶器で底が厚く一升(一・八リットル)入り。
のちに薪材欠乏のためその製造は絶えたといいます。
この窯は1603年(慶長八)帰化朝鮮人金久永が同地の蔑ノ元に起業したのに始まるといい、その系統に柳ノ元窯・地蔵平窯・庵の前窯・西の窯・村木窯・百貫窯・中尾山窯・三股窯・稗山窯・江永窯・牛石窯・佐々窯などがあります。
各項目参照。
(『本朝陶器孜証』『府県陶器沿革陶工伝統誌』『平戸焼沿革一覧』『古木原焼及木原焼系諸窯に就きて』)