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鶴田 純久の章 お話

彦根藩窯湖東焼の陶工。
尾張瀬戸の人、1856年(安政三)12月土焼師・丸窯師として御抱えとなり名を鉄次郎と改名。
いったん帰国したが再び抱えられて二人扶持を給されましました。
1860年(万延元)出奔し1862年(文久二)帰参しましたが、間もなく帰国しました。
(『湖東焼の研究』)

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