尾張常滑の窯家。
通称伊三郎、方救の子。
1821年(文政四)12月7日生まれ。
少時より製陶の技術を学び、動物・人物などの彫刻に巧みでありました。
性は意匠に富み、父の遺志を継いでいろいろと研究の末ついに真焼窯(登窯)の築造法を考案し、1834年(天保五)初めて築造しました。
金嶋山窯がそれであります。
以来同地の窯の様式は皆これに倣うようになりました。
また近年大いに用いられるようになった真焼土管は1847年(弘化四)に彼が初めてつくったもので、美濃国(岐阜県)高須侯の命によってなされました。
最近まで同地陶業者の大部分はこの製造に従事していました。
1901年(明治三四)5月12日没、八十二歳。
(『常滑陶器誌』)
鯉江方寿 こいえほうじゅ
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