Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

重要文化財
高さ:7.0~7.3cm
口径:12.3 cm
高台外径:3.7cm
同高さ:0.7cm

加賀の前田家に伝わった、曜変天目です。曜変は、古来、六つしかないといわれていますが、今日わかっているのは、淀の稲葉家に伝わった稲葉天目(国宝静嘉堂蔵)、水戸の徳川家に伝わった曜変(国宝藤田美術館蔵)、京都の竜光院に伝わった曜変(国宝)と、この碗の四点だけです。しかし、わが国以外、世界のどこにもない尊いもので、中国陶磁の至宝と呼ぶべきものでしょう。
油滴と異なり曜変がなぜ生じたかという謎は、まだ解かれていません。偶然の、火の加減で生まれたものには違いありませんが、火がどういう状態になるとそうなるのか、ということはわかっていません。しかし、山崎一雄博士の研究によると、一万分の一粍という、きわめて薄い膜が釉面に張り、この薄い膜の働きで、光線を分解し、七色の不思議な光彩を放つものであることまではわかっています。釉面に薄い膜が張りますと、たとえば玉虫の羽根、シャボン玉、水の上に石油をたらしたのと同じような現象で、釉面の薄い膜が、プリズムの作用をして光線を分解し、虹色の光彩を放ちます。光線が強くあたれば、光彩もあざやかに輝き、光が鈍ければ、曜変もどんより沈んでいます。
前田家に伝わったこの曜変は、静嘉堂の曜変・藤田美術館・竜光院の曜変ほど光彩があざやかでありませんが、内面に光をあてますと、図示のように青・緑・桃色・紫の曜変が釉面に浮かび、不思議な光彩を、漆黒の釉面から放ちます。外側の粒は、むしみ油滴に近く、一部、内面と同じように、光彩を放つものもありますが、内面ほどあざやかでありません。
なお仔細に眺めると曜変の粒のところだけ、わずかに釉面がへこんでいます。これは、油滴と同じように、釉薬が煮えて気泡が生じ、揮発して、くぽんだところに、鉄のさびが集まって出来た結晶で、その上に薄い膜が張って、曜変となったものでしょう。この膜が何であり、何によって、これが生じたかということが、曜変の謎でしょう。
前田家伝来のこの曜変天目茶碗は、素地がわずかに鉄分のある、ざんぐりとした土で、窯の加減で、土は黒紫色の、鉄のような色になっています。しかしこれは、素地が炭化したり、よごれて黒くなっていますので、素地そのものに含まれている鉄分は、見たほど多くはありません。
作りは分厚ですが、ひねり返した縁は、比較的に薄く、きりりと碗を引き締めています。低い小さい高台が付き、高台内には浅い削り込みがあります。漆黒の釉薬が、厚く腰までかかり、流下して釉ぎれのところは、特に厚く溜まっています。
見込み中央に、ピンホールがあり、口縁に、大小二つのほつれがあり、これを漆で繕っていますが、覆輪はめぐらしていません。
内箱 金粉梨子地 銀粉字形「曜変」小堀遠州
外箱 桐白木 蓋表書き付け「曜変」
伝来は、『玩貨名物記』『古今名物類聚』に、松平肥前守とあり、のち前田家に伝わったものです。
(小山冨士夫)

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