Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

高さ:5.7~6.0cm
口径:11.6~11.9cm
高台外径:4.2~4.3cm
同高さ:0.6cm

梅花天目は玳玻盞の一手で、文字天目、木葉天目、鸞天目、竜天目などと同じく、南宋時代に、江西省の吉州窯で作られたものです。
吉州窯は、江西省の首都南昌の南、約130kmの吉安県治から、さらに南6kmほどの永和鎮(永和盧)にあった窯で、華南における製陶の一中心地です。
吉州窯の起源は、唐時代ともいわれ、またそれより古いともいわれています。吉州窯跡からは、唐時代の青磁や、青白磁の陶片が発見され、大英博物館にある世界的な絶品といわれている、唐の青白磁鳳首瓶は、吉州窯を代表する名作とされています。北宋時代には、天目と白磁を産し、南宋時代には、青磁と天目を主として焼き、明になっては白磁、染め付けも作っています。しかし、蒋玄伯著『吉州窯』を読みますと、窯跡にいちばんたくさん落ちているのは天目片で、吉州窯は、建窯と同じく、主として天目を産した窯とされています。明になって、ご天目がはやらなくなり、廃窯となっだので、工人の多くは、景徳鎮に移ったと伝えられています。
吉州の天目を、俗に、わが国では玳玻盞と呼んでいる。建窯と違い、技巧のすぐれた窯で、複雑な技法で、いろいろの天目を作っていますが、亀甲そっくりの釉薬を得意としますので、亀蓋、もしくは玳玻盞と呼んでいる。
玳玻盞は玳玻盞、態皮盞、能皮盞、飴皮盞などとも書き、また館蓋、亀甲蓋とも呼んでいる。玳玻盞随一の名碗としては、雲州松平家に伝わった、内面に花紋様を散らした茶碗(国宝)があり、木葉天目では、前田家伝来の茶碗(重文)が最もすぐれ、鴻池家伝来の玳玻盞(重美)も、実際に亀甲そっくりの釉調をしており、建盞と同じく、玳玻盞も、わが国ほど名作が多くある国は、世界のどこにもありません。内面に梅花を散らしたこの茶碗も、玳玻盞ではすぐれたものの一つで、渋くて味のある、愛すべき小品と評すべきでしょう。
素地は、ざんぐりとした淡い卵殻色の土で、これに光沢の鈍い、黒釉が全面にかかり、その上に、内面だけ藁灰の混じった失透釉を、二重がけにしてあります。黒かっ色の梅花紋は、わが国で型紙と呼び、中国で剪紙と呼んでいる、鎹で紙を切って花紋様にしたものを、まず作り、内外全面に黒釉をかけた茶碗の内面に、図示のように、これをはりつけます。その上から、失透釉を二重がけにし、かわいてから、そっと型紙をはがしますと、茶碗の内面は釉薬が二重がけですが、紋様のところだけは、下の黒釉だけがかかっていますので、焼き上がると黒くなり、その他の部分は二重がけですので、亀甲のような釉調になります。
外側は、黒釉だけかかっているので黒いですが、釉ぎれのところは施釉が薄いですので、茶かっ色に焦げています。文字天目、鸞天目、竜天目など、すべてこの技法で作ったもので、中国でも吉州窯以外には見ない、吉州窯独特の技法です。
(小山冨士夫)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email