摂津国島上郡古曾部村(大阪府高槻市古曾部町)の陶器。
1790年(寛政二)頃五十嵐新平が京風の窯を築いたのが起こりで、「古曾部」の印を用いました。
文政年中(1818-30)没、八十歳。
二代新平は高取・唐津・高麗・南蛮などを写しました。
別名を一単斎信楽と称し、六十一歳で没しました。
三代信平は嘉永年中(1848-54)に京工を招き清水六兵衛の風を倣りました。
行平・急須・盃・菓子皿・茶碗・火入・水注・花入・酒標・土瓶などを製しました。
四代信平・五代信平と続いたが、明治末年に廃窯しました。
古曾部焼の特色になっている三島写し・絵高麗写しなどは、三代頃から盛んに焼かれたもので、そのほか「くらわんか」茶碗や海老絵小皿も知られています。
代々いずれも「古曾部」印を用いました。
なお三代信平時代に、同郡富田村(高槻市富田町)の道具商小松屋太介が自分で絵付した陶器をこの窯で焼いたことがあります。
(『陶器考付録』『観古図説』『陶器類集』『日本陶器目録』)