Pagoda,three-colorglaze.Naraperiod,Japan.
正倉院蔵
高さ16.8㎝
奈良時代は、ちょうど中国の唐時代に当たり、しかも唐文化が最高潮に達した盛唐が奈良時代の前期なのです。そして、この時期に典雅な交物が数多くわが国に請来され、奈良文化の基調をつくったことは周知のことであり、その文物を納めた宝庫が奈良の正倉院であることもあまりにも名高いです。陶磁器の場合、唐三彩をもとにして日本で奈良三彩がうまれるのも、奈良期の人々が唐文化にいだいたつよい憧れのあらわれでした。正倉院には唐三彩の収集はありませんが、南倉には俗に正倉院三彩と呼ばれる五十七点の日本できの彩釉陶器が納められています。三彩塔にはじまって第六図三彩鉢に及ぶ六点は、そのなかから選びぬいた代表的な作例ばかりですが、そのいずれも、祖型が中国の唐三彩には見られない点、たいへんに興味をそそられるのです。
三彩塔も、もちろん唐三彩に類例を見ません。緑・黄・白の三彩釉を施した六角七重の塔に作られていて、屋蓋は第一層から緑・黄の順序に塗りわけられています。しかし、屋蓋一枚一枚の組み合わせを分解してみますと、構造が二種類に分けられるところから、本来は五重塔二基であったものを後世に合させましたと、調査報告は語っています。
正倉院にはこの塔の原型をなしたと思われ同形同大の白大理石の基壇と屋蓋一枚が残っています。(矢部)
三彩 塔
Three-color glazed ware: pagoda. 8th century. Height 16.8cm.
8世紀
総高16.8cm 底径13.4×15.3cm
正倉院
緑・黄・白の三彩を施した六角七重の小塔です。基座基壇および七枚の屋蓋から成っており、基壇の裏のくぼみから各部の中心孔を貫く銅線の心柱によって連撃しています。釉は基座 基壇とも六方に向けて放射状に施され、側面に及んでいますが、裏面は淡緑色を帯びた白釉です。重ね焼きをしている焼成中にずれたため、基壇底部の痕形が基座の中心からはずれて残っています。屋蓋は第一層から緑 黄の順序に交互に重ねており、上にゆくにしたがって小さくなっています。この塔はいま、軸部 (塔身) と相輪を欠いており、第一層屋蓋の裏面にその痕跡を留めています。屋蓋七枚は製作手法の上からみて、第一・四・五・六層と第二・三・七層の二種類に分類することができ、心柱銅線の孔の位置との関係から、もと五重塔二組があったのではないかと考えられます。なお、正倉院にはこの塔の原型をなしたと推定される同形同大の白大理石製の基壇と屋蓋一枚が残っています。