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鶴田 純久の章 お話

Bowl,three-colorglaze.Naraperiod,Japan.
正倉院蔵
口径26.9㎝
 正倉院南倉にのこる五七点の彩釉陶器は、もともと正倉院に納置されていたものではなく、平安時代の天暦四年(950)に、東大寺羂索堂(三月堂)の倉庫が損壊した際に正倉院に移されたものであり、東大寺の宝物として、仏教法具に使われていたもの、あるいは堂宇荘厳の一具であったものです。図示した鉢てつぱつは俗に鉄鉢と呼ばれ、口縁を内に抱え込み、底が丸くとがった独特の形式をそなえたもので、鉄で作られていたことに由来した呼称ですが、正称は応量器という仏具でした。正倉院三彩のなかで大皿とともにもっとも数の多いのがこの鉄鉢です。緑白二彩に褐彩が加わった二点のうちの一点で、類品中でも精作の一つにあげられています。施釉は、外面が口縁から底まで三段に連弧文を緑釉であらわして白釉を余白にかけ、連弧の相接する位置に小さい褐斑をさす普通の奈良三彩の賦彩法をとるのに対して、内側には白地に緑釉・褐釉の細長い線状文をあらわして褐釉の占める役割は大きく、それだけに華やかな色価をもたらしています。おそらく東大寺の法会に使うべく製作された、貴重な什器であったのでしょう。鉄鉢は、普通「輪」と呼ぶ円筒形の丸い小さな台を用いて安定させますが、三彩の輪はのこされていません。この種の三彩鉢は、平城宮跡、千葉県の上総国分寺跡に近い集落跡からも発見されています。(矢部)

三彩 鉢

Three-color glazed ware: bowl. 8th century. Diameter 26.9cm.
8世紀
高さ16.0cm 口径26.9cm 胴径29.4cm
正倉院
 正倉院三彩のうち、大皿とともにもっとも数多い器種ですが、三彩鉢二点のうち、内外両面に三彩釉を施したものはこの鉢一点のみです。大きさもまた、この種の鉢のうち最大ですが、重さは他の鉢にくらべて軽く、外面を轆轤で削って薄手につくられた精作です。釉は口縁部から底部にかけて、まず緑釉で三段に連弧文を描き、間を灰釉で埋めたのち、緑釉の分岐点に黄釉を規則的に配したもので、緑釉はよく熔けて流下し、白釉と黄釉の周縁を被っています。内面は口縁部から三分の二くらいまで、一定の間隔をおいて、白地に黄緑の細長い二重斑文を繞らしています。やや還元気味の高い火度で焼かれ、白釉の部分にはいわゆる「御本(ごほん)」 が多くみられます。
 三彩鉢は、正倉院以外では平城宮跡からの出土が知られるだけでしたが、最近、千葉県の上総国分寺跡に接する集落跡から、多くの緑釉陶片とともに発見されています。

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