中興名物。国焼茶入、薩摩焼。一名宿の梅、また存外もと京都の町人後藤三左衛門の所持であったのでこの名がある。宿の梅というのは『拾遺集』春部の平兼盛の歌「わが宿の梅の立枝や見えつら思の外に君かきませる」の歌意により、また思の外ということから存外という別名がある。『名物記』に「後藤さつま焼元京町人後藤三左衛其後朽木伊予守、其後神尾大和守、其後水野和泉守、其後手前(松平乗邑)に来る、中頃存外と云ふ云々」とある。口縁は少し抱え、黄釉があろくろる。総体黒釉の上に青味を帯びた薩摩特有の白釉がむら雲のようにおおい、胴体には横に三筋ほどやや広い轆轤目がある。腰は少し張り、裾以下は朱泥色の土をみせている。松平乗邑ののち1826年(文政九)大阪鴻池新十郎の手に入り、1903年(明治三六)7月井上家に納まった。現在は根津美術館蔵。(『大正名器鑑』)