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鶴田 純久の章 お話

萩焼の初期のものを指す。萩焼の起原は永正年間(1504~21)であるというが明らかではない。文禄の役(1592~4)後毛利輝元に従って来た李敬は朝鮮韋登の陶工と伝えられ、阿武郡椿郷東分村松本(萩市椿東)の地に開窯して韋登風の茶碗その他をつくり、後世の萩焼に比べてより頑健な風があるとされる。李敬は1625年(寛永二)高麗左衛門と名を改め、1643年(同二〇)に没したとあるから、いわゆる古萩はその頃のとみられる。※はぎやき

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