Tepe Giyan テペ・ギョン

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鶴田 純久の章 お話

イランの南西の大市ハマダンのさらに南にある先史遺跡。その歴史はシャルクより遅れた紀元前四千年紀から始まった。初めは彩文土器が用いられたが、次いで黒色・灰黒色のものが混じり始めた。しかし前三千年紀になっても土器は文様によって装飾された。特徴的なのは双頭の鳥が肩部に用いられていることで、その胴は櫛の目のように描かれている。のち西方で盛行する双頭の鳥文様のモチーフとして注目される。前二千年紀になると、鼎形の三足土器がつくられ、装飾文様には幾何学文が多くなった。この器形はザグロス高原では永く用いられ、特にルリスターンでは前一千年紀まで使われた。そのほか動物文様も見出され、前二千年紀の後半には組紐文・動物文・幾何学文をもった高坏が知られる。前一千年紀になるとシァルクなどと同じようにくちばし形土器が使われており、やがてアッシリアによってギァンは征服されてしまう。(Ghirshman.R.『Iran』)

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