内藤鶴嶺 ないとうかくれい

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鶴田 純久の章 お話

鶴嶺すなわち内藤陽三は幕府旗本の士で1860年(万延元)生まれ。1882年(明治一五)エ部美術学校を卒業し、のち皇居御造営事務局に入洋式建築の正殿模型の製作に従事したが、工事延期のため辞職。翌年権大技長宇都宮三郎の招きで愛知県常滑に来て美術研究所を設立し、図画・幾何画法をはじめ動物・人物などの粘土塑像法や石膏型の製法などを教えた。1885年(同一八)東京に帰りさらにドイツに留学し秀才といわれたが、病気にかかり1889年(同二二)五月帰国の途中30歳で没した。(『常滑陶器誌』)

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