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鶴田 純久の章 お話

茶器のうちに祥瑞あるいは祥瑞手と称される一群の染付磁器があります。
これを祥瑞と称するのはその一部の器の底裏に「五良大甫呉祥瑞造」という縦書二行の染付銘が大ったものがある点にあります。
この銘に対してどう判断したらよいか、またこれらの器が極めて精美な作でとても日本製とは思えない反面、いたって日本的な好みに意匠されているのをどう理解するかといった面で、祥瑞はすこぶる難解なやきものとされ多くの評説が昔から鈷綜し、未だに正確な結論を得ないでいます。
すなわち呉も祥瑞も地名だとする説があるかと思えば大名であるとする常識論もあるようで、それも室町時代の大というのから桃山だ江戸だと分かれ、日本大か中国大かの意見も分かれる。
五良大甫は日本大で呉祥瑞が中国大だとする折衷説もあります。
そして遠州が仮に名を付けた架空の大物であるとか、あるいは陶工だ、あるいは唐物屋だと憶測はさまざまに分かれています。
それらを整理して現在ほぼ信じられている結論的なものを紹介すると、祥瑞のつくられたのは中国最大の窯場景徳鎮で、時期は明末の崇禎年間(二828-44)、その原料の質の良ざと丁寧な作風、そして日本的な意匠は日本からの特定の注文によったものであるようで、その注文主は小堀遠州か彼に近・い筋の者ということであります。
祥瑞の銘をどう解するかまだ謎は多いが、一応この推定は確かであるでしょう。
形としては茶碗(沓形・筒形・胴/・州浜など)・茶入・香炉・香合・水指・蓋置・大大・巾筒・香煎大れなどの茶器のほか、数ものの食器があります。
それらの中には本格の祥瑞よりやや古格の元祥瑞や、いくぶん崩れた祥瑞手と称するもの、また天啓赤絵や南京赤絵に近い色絵祥瑞なども含まれる。
詳細については斎藤菊太郎の「ションズイ新論」『祥瑞』(滴翠美術館刊)、奥田直栄の『祥瑞』(根津美術館刊)などを参照。

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