Parish Bernard パリッシー・ベルナルド

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鶴田 純久の章 お話

フランスの陶工。
1510年頃の生まれ。
初めはステンド・グラスエとして各地を巡り歩いていましたが、サンドに住むようになってからは陶器釉薬の研究を始めました。
貧しい中で実験を続け、燃料を欠いたために家具や床板まで燃料にしたという説話があります。
こうして錫や鉛を加えた黄白色のエナメル釉によってレリーフを施した器物をおおい、さらに色彩を加える技法を完成しました。
この発明には十六年を要したといいます。
やがて新教徒となったがカトリーヌ・ドーメディチらに保護されて迫害から逃れました。
1567年にはパリヘ迎えられ王室御用の陶工となり、チュイルリ一宮内に工房も与えられました。
その後複雑な政治情勢を避けてスーダンやドイツ方面を旅していましたが、1573年にはパリに戻りました。
初期の動植物をテーマとした文様の写実性はこの頃から失われ、天使とビーナスとか、ネプチューンと海馬のようなギリシア神話のテーマを用いるようになりました。
また1575年からは地質学・鉱物学・博物学に関する公開講演会を十年にわたって継続するという啓蒙活動にも熱心でありました。
1585年の勅命で改宗か亡命を迫られた時いずれにも従わず、1589年捕らえられてバスチーユに投ぜられそのまま死んです。
その著『自然についての序説』(1580)には「陶器の技術について」の一章があります。
(渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』)

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