樋口利三郎 ひぐちりさぶろう

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

肥前国松浦郡上南川原(佐賀県西松浦郡有田町南川原)の陶家。文化・文政年代(1804~30)資産家で奇才に富み、文化年間(1804~18)の泉山磁砿場紛議の際には、梶原忠蔵と共に交渉代に選ばれた。1843年(天保一四)七月没。次子為吉は巧手で、出藍の誉があったが早世した。なおこの窯跡から蔵春亭三保造の銘をもつ樋口肩衝比丘貞ひけきず当時オランダ貿易品を製造していたと推察される。またほかに所掲のような銘があるものも見られる。これはその人組の製造人であろう。(寺内信一)

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