1871年(明治四)愛知県に生まれた。父は旧尾張藩士。三歳で父に死別し東京に移った。1888年(同二一)東京職工学校(現東京工業大学)に入学してワグネル・藤江永孝らの指導を受け、瀬戸磁器素地の研究を進め、1891年(同二四)同校を卒業、ワグネルの助手となった。やがて職工学校は東京工業学校に改まり、1893年(同二六)同校助教授となったが、1895年(同二八)農商務省に移った。各地陶業の調査研究に努め、また磁器の石炭焼成試験を試み、1899年(同三二)ドイツおよびベルギーへ留学、窯業の研究調査に従事した。1902年(同三五)ドイツから帰国して東京高等工業学校(現東京工業大学)教授となり、品川白煉瓦株式会社の顧問をも務め藤江永孝と共に同社にメンタイム式輪窯を導入し、ウェバー式鋳込法をも採用した。次いで南満州鉄道会社の中央試験所に参画、1911年(同四四)ガラス工業調査のためドイツに赴いた。その成果は東京電気株式会社の電球製造に利用された。近代化に向かいつつあったわが国の工業的陶磁業やガラス工業の、技術的な発展と向上のための重要な役割を務めた。