福島正則 ふくしままさのり

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鶴田 純久の章 お話

桃山・江戸時代初期の武人。尾張国(愛知県)の人で、1561年(永禄四)生まれ。秀吉に仕え歴戦の功があり、文禄の朝鮮の役(1592~4)の際には、諸将と共に兵を率いて竹島に渡り、竹島において代官を勤め、兵糧輸送のことなどを掌った。その功により1595年(文禄四)尾張国清州二十四万石の大名となった。関ヶ原役以後は徳川氏に属し、広島城主となって安芸・備後国五十万石を領した。しかし1619年(元和五)許可なくして広島城を修理した科により、安芸・備後両国を没収され、代わりに信濃・越後の両国内に四万五千石を与えられ、信濃国高井(長野県上高井郡高山村高井)に蟄居を命ぜられた。
1624年(寛永元)七月十三日没、64歳。
彼は茶を好み、数寄道具もつくらせた。清州在城はわずか六年足らずではあったが、瀬戸および美濃の窯に茶器を焼かせ、その種類と数は相当なものであったらしい。そのことは当時の諸書に記されている。この地方の茶陶の開発に貢献したことが想像される。

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