岡山県邑久郡邑久町虫明の陶器。寛政年間(1789~1801)領主の岡山藩家老伊木家の御庭窯として生まれた。窯は瀬戸窯。次いで1819年(文政二)に池奥窯が築かれ、ここでは仁阿弥道八も作陶しており、1842年(天保一三)に廃窯。1847年(弘化四)に伊木三猿斎は京都の初代清風与平を招いて間口に開いた。二代与平も1863年(文久三)に虫明へ赴き、少庵二百五十回忌のために少庵伝来の三島角水指を焼いている。清風父子の作品には染付・金襴手・赤絵・三島手などがある。銘印は「琴浦」隷書印・「清風」印。また二代楽(真葛)長造も招かれて仁清写などを作陶している。銘印は「むしあけ」印と「真葛」隷書あるいは行書印。真葛宮川香山(初代長造四男)も明治初年に来窯作陶。作品は主に鉄絵の御本写し三猿斎好みの十二ヵ月茶碗や五節句茶碗などが有名である。1863年(文久三)には森角太郎に間口窯を譲ったが、角太郎とその子香洲は香山に陶技を習った。この窯も1880年(明治一三)には止むなく廃窯、その後は香洲が断続して業を続け、大正に及んでいる。香洲の作麦藁手虫明燒仁清写上手付水指.品は主に茶器で、十二ヵ月茶碗や仁清写し月に雁細水指が知られている。印銘には「むしあけ」「香洲」「明浦」などがある。現在では黒井一楽が焼いている。