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鶴田 純久の章 お話

高さ8.6cm 口径3.2cm 底径3.9cm
畠山記念館
 茶陶として生まれた唐津焼が、 桃山の茶会記に登場してくるのは慶長八年(1603) 頃からで、 古田織部が用いています。 水指、 茶碗、 花入など織部好みの作品が数々残っているのはその間の消息を物語りますが、茶入は美濃、 瀬戸に比して著しく少ないです。 なかでこの 「思河」は、古来、 唐津茶入中の白眉とされているものです。
裾の張った肩衝風の茶入で、口は低く立ち上がり、 裾まわりに聳彫りをめぐらし 胴には朽葉色の釉がかかり、口から肩にかけては黒飴釉、そして一条太く胴に飴釉がなだれて、 見るからに茶人好みの景色の整った茶人です。 小堀遠州が取り上げたものであり、 内箱の蓋表の 「思河」の二字、蓋裏の「おもひ川まれなる中になかるなれこれにもわたせ鵲の橋」 の歌銘は遠州の筆です。 後に松平不昧のとなり 『雲州名物記』に所載され、 『大正名器鑑』 にも所載されています。

唐津茶入 銘 思河

唐津茶入 銘 思河
唐津茶入 銘 思河

高さ8.6㎝
口径3.2㎝
底径3.9㎝
畠山記念館
 数少ない唐津の茶入のなかでも、格段に佗びた名器で、小堀遠州が「思河」の歌銘を与え、後に松平不昧公の愛蔵するところとなりました。
さらりと素直に轆轤挽きされた姿は、いかにも遠州の好みそうなところですが、裾上にめぐらされた山道の箆目は、うねりがきいて強い点景となる、ロから肩にかけて鉄釉をかけ、全体に灰釉をかぶせていますが、鉄釉が一筋なだれ落ちて、これまた絶好の景色を旱しています。

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