現川焼 うつつがわやき

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鶴田 純久の章 お話

長崎市現川名で焼かれた陶器。
元禄5年(1692年)に田中五兵衛が子の甚内と創業しましたが、寛保(1741-1744年)頃に廃窯。その作品は、非常に上作薄手で一見京焼風です。刷毛目 を効果的に利用し、絵付には白土、鉄、たんばん、呉須などをつかっています。
現在、佐世保市の横石臥牛窯で復興されています。

肥前国彼杵郡矢上村字現川野(長崎市現川名)の陶器。矢上焼ともいいます。田中五兵衛(宗悦)がその子甚内と1692年(元禄五)に開窯、しばらく続いたが寛保(1741~4)頃に廃窯。作は薄手で一見京焼風ですが、これに肥前特有の刷毛目が一層洗練されて瀟洒に施され、大きな特色となっています。その意匠によって蓮華刷毛・牡丹刷毛・小波刷毛・縮緬刷毛・螢手・流描き・地図描きなどと呼んでいます。絵付には白土のほかに鉄・胆礬・呉須も使われています。古作には印銘はありませんが、1895年(明治二八)頃から1903年(同三六)頃まで馬場藤太夫とその子弥四郎が同地字比羅に築窯して古現川焼を再興し、現川の窯印を用いました。また1897年(同三〇)頃檀野勝次が字山川に築窯したが間もなく廃窯しました。昭和初期の三川内の横石臥牛の作はたびたび古現川焼に紛れています。

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