肥後国(熊本県)の高田焼の陶工。藤四郎の次男。1716年(正徳六)に分家して士族の籍に入り俸禄を世襲。初代の太郎助は一種の白陶を創製し、二代目太郎助は国主に従って江戸に出て楽焼を習得したといわれます。明治の初めの上野弥一郎はその子孫。(『府県陶器沿革陶工伝統誌』)