Ryōnyü (Raku IX, 1756-1834): tea bowl, known as “Kogetsu”, Black Raku
Mouth diameter 10.8cm
高さ8.6cm 口径10.8cm 高台径4.6cm
利斎作の共箱蓋裏に 「黒茶碗 翫土軒了入印 七十三造」 とあり、左側の桟の外側には「戌子」 の黒い印を捺し、共箱の底裏にも「翫「土老人」の印を捺しています。さらに二方桟の別箱が添い、それには「了入石山ニヲイテ作黒茶碗 銘湖月 左 (花押)」 と碌々斎が書き付けています。了入は七十歳以後、近江石山に隠棲しますが、この茶碗はそその頃の代表作です。さらに了入の茶碗は、茶碗に捺されているのと同種の印を共箱にもすべて捺し、ことに製作年代の印まで捺しているのが典型とされていますが、このように厳密になったのは、了入その在世中から神楽文山などが倣作を焼造したためでしょうか。碌々斎の銘は近江石山の作に因んだものでしょう。
剃髪後、ことに古稀を過ぎて石山に隠棲し、花鳥風月を友とした時代の作だけに、もはや形式にとらわれることなく、自由に手捏ねこの作陶に興じての作といえます。ずんぐりした姿で、厚く薄く不均等に成形され、胴には指で斜めの筋をめぐらし、高台は小振りで 高台内はまるくくっきりと削り込み、見込には深い茶溜りをつけていまる。巧拙を超越した作といえますが、高台の作行きはさすがに巧妙で、ノンコウ以来の名工の片鱗をうかがわせることに高台畳付に捺された印は破格の遊びでもありましょうが、一つの見所として生きています。
楽字印を見込に一個、外面に八個捺し、土見せの高台脇に 「翫土老人」の印、さらに高台畳付に内箱の桟と同じ小さい 「戊子」の印を捺しています。黒釉は艶やかに溶け、高台から腰まわりにかけて白い土を見せています。