神谷宗湛造茶杓 やろうかみやそうたん 共筒 カミそうたん

神谷宗湛造茶杓
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鶴田 純久の章 お話
神谷宗湛造茶杓
神谷宗湛造茶杓

宗湛作唯一のもの。
白竹で細身なのは、波乱万丈の生涯を送った人の印象でないが、利休を慕っての作風であり、時代の形を伝えている。
筒は草削りの皮を残し、底近く仮名書の署名は流麗。
神谷家は代々伝わる巨商で、貿易・鉱山業を営み巨富をなした。
堺の茶人と往来し、天正十年信長に謁本能寺の変に玉潤の「遠浦帰帆図」を救った。
天正十四年上洛の折、宗湛と改名、法体で秀吉その他堺衆と交わり 『宗湛日記』を書き始める。
文緑の役に秀吉が肥前名護屋城滞陣中は茶をもって交わった。
【付属物】内箱桐薬籠蓋、書付古筆了伴筆「紙屋宗湛茶杓」 外箱書付 「平瀬蔵「器」
【伝来】平瀬家
【寸法】 茶杓―長さ18.5 筒長さ2.0

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