明代。
名物裂。
占城の独立は漢代日南郡象林県からチャム族がユエ(バンサ)に移住したときに始まるが、ベトナムの侵入によって十五世紀後半、首都をビエンチャンに移し、貿易をファンリやファンランの港で行ない、インド・インドネシア・日本間の中継貿易基地として栄えた。
この裂は厚手の木綿織で、江戸初期の日本人の目にはまったく想像もしなかった珍奇な色調であり、異国趣味を満足させたに違いない。
赤い細縞を中心に白と藍で挟み、薄金糸雀色の太柄を配した色層は、西欧的な感覚さえもち合わカナリヤせている。
同手の裂は中興名物「藤浪茶入」の家の仕覆に使用されているが、それはさらに細い縞柄である。