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鶴田 純久の章 お話

朝鮮産井戸茶碗のうち名物手井戸を大井戸と呼びます。大振りであるのでこの名があるのでしょう。『名物目利聞書』に「大井戸大作なるを云ふのみ銘物手と唱申候、品数うち交々出来よろしきを云ふなり」とあります。名物手井戸は古くから茶碗の王者で、製作年代は約六、七百年前とされ、見込の茶摺れ・茶溜まり・内外の口轆轤・胴轆轤・かいらぎ・高台竹の節・高台内の景色などあらゆる鑑賞条件を具えています。土は田土のように白い土ろくろ釉は艶のある枇杷色とでもいえる卵の殻のような色に少し赤黄色を点じた感じの色合いで、こまかいひびが現われています。そして見込と、外面の口造りから胴を経て腰に至るまでとは地土が平らで、したがって釉も平らに掛かっていますが、腰から下高台にかけては釉がおもしろく荒れて、いわゆるかいらぎになっています。腰から上部の釉には時粉引釉に近い白いしみが淡く現れたものがあり、かいらぎの所は白味がかった浅葱色の極め淡い色を呈しているものが多いです。名物手井戸の特色は釉が高台全部を包んで土が見えないことにあり、現存のもので地土の見えているのは長い年月を経て自然に釉が剥げ落ちたためです。姿形は端然と整って気品があり、轆轤目がよく立って高台の竹の節に趣があり、畳付きもどっしりと重みがあり、見込・茶溜まりの景色が素直に整ったものです。『古今名物類聚』所載の仙台侯所持大井戸は、のちに赤星家を経て1916年(大正五)大阪村山家に入り、また山上宗二所持の呼銘「しろ」という大井戸は、のちに豊臣秀吉に献上され1587年(天正一五)の北野大茶湯の時太閤道具の一つとして出陳され、1878年(明治一一)冬に北野神社で献茶祭が施行されたおり用いられ大阪木村権右衛門に伝わりました。現存の大井戸茶碗の著名なものは次の通り。喜左衛門・加賀・筒井筒・宗及・有楽・浅野・翁・坂本・細川・越後・松永・坂部・福島・美濃・金地院・老僧・紀・堀・立華・竜光院・九重・本阿弥・大高麗など。『大正名器鑑』『茶道名物考』『高麗茶碗と瀬戸の茶入』)※いどちゃわん

井戸茶碗の一種。井戸の特徴を備えたなかでも、「喜左衛門井戸」や「筒井筒」など大ぶりなものを指します。

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