



漢作 大名物 子爵 土屋正直氏藏
名稱
十四屋宗悟の所持せし茄子茶入るを以て此名あり。古今茶人系譜に「十四屋宗悟休齋と號す、篠(志野)道耳より臺子傳授す、京師に住す」又武野紹鷗の條下に「其ころ五條松原町に宗陳宗悟とて數寄者あり、紹鷗彼所に至りて茶事を兩人に尋ね、蘊奥を盡せり」とあり。因に云ふ十四屋の屋號につきては、明良洪範に「大津の町に十四屋と號するものあり、神君彼に此邊の代官を仰付る、姓名は小野宗右衛門と名乗る、是を十四屋と呼ぶ故は、此小野が先祖に一人の娘あり、此娘和歌をよくし、十四歳の春の夜閨中近く梅花の香を賞して、
人ならは浮名やたたむ小夜更けて 吾が手枕にかよふ梅か香
と詠せり、是より十四屋と異名せしが、終に十四屋と家號になりし也」とあれば、宗悟は蓋し此家より出たる人なるべし。
寸法
高 貳寸四分五厘
胴徑 貳寸五分五厘
口徑 壹寸貳分
底徑 九分
甑高 貳分
重量 貳拾八匁四分
附屬物
一蓋 二枚 內一枚寞立佐作
一御物袋 白縮緬 緒つがり白
一袋 三つ
うつぼや純子 裏茶地かいき 緒つがり紫
堅縞木綿廣東 裏かべちょろ 緒つがり紫
白極純子 裏かべちょろ 緒つがり紫
一袋箱 桐 白木 仕込四ツ
宗悟茄子 袋
一挽家 黑塗
袋 有栖川 裏茶地紋純子 緒つがり茶
別袋 染革 緒つがり萠黄
袋の付札に「宗悟茄子別袋元祿十二卯十二月二日松井道溪上ル」とあり
別袋の箱 桐 白木
宗悟 茄子
一箱 桐 白木
茄子
雜記
茄子の名物世に聞えし大概
北野茄子 醍醐茄子 豊後茄子 宗娯(悟か)茄子 京極茄子 京極茄子 紹鷗茄子 みをつくし茄子 兵庫茄子
(茶事祕錄)
宗五茄子 織田三五郎(有楽齋の子、號可休)朱書入 上る、土屋へ下さる。 (幕庵文庫本玩貨名物記)
土屋政直 能登守 相模守 寛永十八年生る元祿五年十月晦日、御前に於て大學を講ず、同六年十二月御成の旨を以て、營作料金一万兩を貸興せらる、同七年四月十日政直が邸へ渡御のとき、政直中庸を進講す、其後御自ら書を賜ふ省察の二大字、及宗悟茄子といへる唐物の小壺をたまふ。享保七年十一月十六日歿す、年八十二、俊翕道耆德相院と諡す。 (寛政重修諸家譜)
宗悟茄子 元祿七年四月十日土屋邸へ御成の時、土屋公拝領。 (土屋子爵家文書)
傳來
紹鵰の師十四屋宗悟所持にして、織田三五郎可休に傳はり、其後幕府の御物となり、元祿七年四月十日將軍綱吉、常陸土浦の城主土屋相模守政直の邸に臨み、手づから此茄子茶入を政直に賜ふ。政直は小堀遠州茶弟なり、藩翰譜に「政直は有徳院の時まで生存し老中の職に居り、年八十二歳にて卒す、數代の元老にて營中杖をつく事を許されたるは、本多正信と二人のみ」とあり。又内藤耻叟の徳川十五代史に「土屋政直は老中の職にあること四代を経て三十二年、夙夜怠る事なし隠居の後までも優待せらるゝ事在職の時に異ならず」と記せり。
實見記
大正十年四月十四日、東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町篠田土屋正直子邸に於て實見す。
口作括り返し深く肩先より丸味を持ちて腰まで次第に張り、胴に沈筋一線を繞らし、底締り、縁磨り、周圍に朱泥色土を見、絲切細かく、但し約三分通り磨りて起點其他をへり。總體飴色釉光澤麗しき中に、肩先よりムラムラと青味を帯びたる白釉雲の如く漾ひ、裾の邊に至りて稍濃厚となり、面白き景色を成す處、頗る福原茄子に似たる者あり、底廻り土の上に飴色及び青釉飛びあり、胴體にヒッツキ若くはボツボツと膨れあり、轆轤淺く縒り、ブヨブヨとしたる釉質上作言はん方なし、内部口縁釉掛り、以下土の上に轆轤荒く繞り底中央渦狀を成す、茄子としては大形の方にて形狀優雅釉色穠麗にして古來高名なるに背かす。



