


種子茄子
唐物 公爵 島津忠重氏 蔵
名称
種子島左近家が所持していたことによって名付けられた。
寸法
高さ:2寸2分(約6.7 cm)
胴径:2寸3分(約7.0 cm)
口径:8分(約2.4 cm)
底径:9分または1寸(約2.7 cm~3.0 cm)
甑(こしき)の高さ:1分5厘(約0.5 cm)
重量:19匁5分(約73 g)
附属物
蓋:1枚 象牙
袋:2つ
御納戸地雲龍大模様 裏は玉虫色 緒のつがりは紫
紺地唐草緞子(どんす)裏は萌黄色の海気(絹織物)緒のつがりは紫
付属の札に「よきやとんす(吉野家緞子)」とある
袋箱:2つ 桐 白木
種子茄子袋
茄子茶入袋
挽家(ひきや):黒塗り 金粉の字形 島津斉宣の筆
茄子
袋 琉球毛織物 紋緞子 緒のつがりは白
内箱:桐 白木
茄子御茶入
外箱:黒塗り 金粉の字形
茄子茶入
添盆:青貝盆 金井盆の文字入り 青貝磨き出し
七寸四方(約21.2 cm四方)鏡の部分は五寸二分四方(約15.8 cm四方)高さ八分(約2.4 cm)
(鏡の部分の詩文)
金井 寒出
索為金井欄
莫為金井索
索断轆轤声
清泉如涙落
添え書付
覚え
金井盆 1枚
右の品は、元祖である藤巌より代々所持してきた品でございますが、この度やむを得ない事情により献上を願い出ましたこと、他意はございません。そうしたところ、そのお返しとして小判金百両を頂戴するようにとのおおせつけがあり、ありがたく拝受いたしました。
よって、お受け取りの証文はこの通りでございます。以上。
文政2年卯(1819年)5月19日
藤原藤元
証拠藤元実父
酒井春山
白石三悦様
伊藤善春様
添え書付 1通
御茶入袋1つ 箱入り
ただし唐物緞子
右の品は、種子茄子御茶入の替え袋として、この度新しく出来上がり、お添えになったものです。
挽家 蓋 「茄子」の金粉字 斉宣公の御筆
右は、この度お書きになられたものです。
右の品は、種子茄子を借り入れて御覧になり、去る8月に川上美濃殿が江戸へ出向く便りで取り寄せられ、お茶事に用いられました。しかしながら、おぼしめしによって本行の替え袋が出来上がり、並びに挽家の文字をお書きになられ、この度お返しになるとのことで、もとの通り国元での保管等の儀についてお問い合わせくださるよう、以上この通りでございます。
御附御茶道頭
池田窓雪
文政8年(1825年)酉2月19日
右同奥御茶道
仁礼喜悦
添え書付 1通
種子茄子御茶入 1つ
右は、御隠居の斉宣公がお茶事の際にお用いになるため、川上美濃殿が去る年に江戸詰めで出向く際に持参するようにとのご沙汰により、美濃殿へ差し上げたところ、度々お茶事にお用いになり、おぼしめしによって御茶入の内箱である黒塗り挽家に「茄子」と御銘をお書きになり、並びに唐織雲龍の紋柄緞子袋一つも、またおぼしめしによって整えられてお添えになり、この春、太守様(藩主)が帰国される際に芝(の藩邸)へお返しになり、持ち越されました。この趣旨を白金御附御茶道頭の池田窓雪、および右同奥御茶道の仁礼喜悦より、書付を我々が承知した旨の添え書きをしておくようにお問い合わせがあり、承知いたしました。御茶入は奥御茶道頭の前谷如田より引き渡されましたので、我々が添え書きをしておき、後年の確認のために記録しておくものであります。以上。
伊地清阿弥
文政9年(1826年)丙戌4月10日
高嶋新阿弥
新穂善阿弥
上床治阿弥
児玉悦阿弥
雑記
種子茄子御茶入 1個
右は、種子島弾正の祖父である種子島左近家で伝えられていたところ、中納言様(島津家久)の代に召し上げられ、藤重藤巌という者にお見せになったところ、「天下の名物である『つくも』と申す茄子の茶入と少しも変わりません。天下に三つあると昔から言い伝えられているうち、二つは太閤様(豊臣秀吉)のところにあり、大坂で秀頼が亡くなった時に焼けたものと少しも違いません。こちらの茶入は一段と見事でございます。その時、藤巌が『どんなに高くても五百枚(の金)で売りましょう』と申したとのこと」が、家久公の御譜(記録)の中の、島津下野久元と伊勢兵庫貞昌の書状に見えます。右の御茶入の御礼として、あれこれと種子島へ御蔵入り(直轄地)である四千石余りを左近に拝領させたとのこと。これもまた家久公の御譜に見えます。
(島津公爵家文書)
伝来
文政8年、島津家久が種子島左近家から召し上げ、その代わりとして四千石余りの知行を与えられたという。それが火災に遭ったのは明治10年の西南戦争の時であったという。
実見記
大正10年(1921年)9月20日、東京府荏原郡大崎町の島津忠重公邸において実見した。
口の作りは丸く、括り返し(口縁部の反り)は浅く、胴に沈んだ筋が一線巡り、裾から下は鉄気(かなけ)を帯びた色の土を見せている。底の糸切りはやや荒く、底の近くに一つの型が巡っている。底面にはヒッキ(箆跡)および指先の跡があり、その中央に小さな土のホツレ(欠け)がある。全体は天目釉のような浅黄色みを帯びた黒飴色で、胴の紐(筋)の上から釉薬がなだれて裾に至って止まり、その露の先(釉薬の垂れた先)に蛇蝎(だかつ)色(蛇やトカゲの皮のようなまだら模様)がある。また、これと並んだ同じなだれの露の先にも同じ色が現れている。火中に入ったと思われるため、釉薬にカセ(艶がなくなること)があり、また全体が大破したのを漆で補修しているために元の釉薬の色を失っている所もあるが、胴から下はすべて元の質を残しており、蛇蝎色の景色(模様)がたいへん面白いところがある。内部は口縁に釉薬が掛かり、それより下は轆轤(ろくろ)の目が目立たず、わずかに筋を成しているだけである。全体の格好は良く、この茶入が無事(破損していなかった)であったならば、唐物茄子茶入の中でもひときわ異彩を放つはずであったのに、大破したために元の状態を消失した部分があることは、まことに遺憾に堪えない。
【原文】
種子茄子
漢作 公爵 島津忠重氏 藏
名稱
種子島左近家所持なるに依りて名づく。
寸法
高 貳寸貳分
胴徑 貳寸參分
口徑 八分
底徑 九分又壹寸
甑高 壹分五厘
重量 拾九匁五分
附屬物
一蓋 一枚 象
一袋 二ッ
御納戸地雲龍大模樣 裏玉虫 緒つがり紫
紺地唐草純子 裏萠黄海氣 緒つがり紫
附札に「よきやとんす」とあり
一袋箱 二ッ 桐 白木
種子茄子袋
茄子茶入袋
一挽家 黑塗 金粉字形 島津齊宣筆
茄子
袋 琉球もうる 紋純子 緒つがり白
一內箱 桐 白木
茄子御茶入
一外箱 黑塗 金粉字形
茄子茶入
一添盆 青貝盆 金井盆文字入 青貝磨出
方七寸 鏡方五寸二分 高八分
鏡
落 索爲金井欄
青 莫爲金井索
貝 索斷轆轤聲
文 清泉如淚落
字
金井 寒出
一添書付
覺
金井盆 一枚
右者元祖藤巖より代々所持之品に御座候處此節無據奉願進上仕候
儀別條無御座候然處右爲御返小判金百兩頂戴被仰付難有拜受仕候
依之御受證文如斯御座候以上。
文政二年卯五月十九日
藤原藤元
證據藤元實父
酒井春山
白石三悅樣
伊藤善春樣
一添書付 一通
一御茶入袋壹 箱入
但唐物純子
右者種子茄子御茶入替袋として、此節新規に御出來、御添被遊候。
一挽家 蓋 茄子之粉字 齊宣公御筆
右此節被遊御筆候
右者種子茄子御借入にて被遊御覽候而去申八月川上美濃殿出府便より御取調相成候而御茶事に御用相成候然處思召を以て本行替袋御出來并挽家文字御筆にて、此節御返し被遊候に付、本之通御國許御格護等之儀問合被申越度仍如斯御座候以上。
御附御茶道頭
池田窓雪
文政八年酉二月十九日
右同奥御茶道
仁禮喜悅
一添書付 一通
種子茄子御茶入 壹
右者御隱居齊宣公御茶事之節被遊御用候付、川上美濃殿去申年爲江戶詰出府之節御持參有之候樣、依御沙汰、美濃殿へ被差上候處度々御茶事被遊御用、思召に而御茶入內家黑塗挽家茄子と被遊御銘書并唐織雲龍之紋柄純子袋一是又以思召御調被遊御添、當春太守樣御下國之節芝へ被遊返御持越相成右之趣白金御附御茶道頭池田窓雪、右同奥御茶道仁禮喜悅より書付者我々共承知仕、添書仕置候樣問合致承知御茶入者奥御茶道頭前谷如田より被相渡候に付我々共添書仕置候、後年爲見合記置候、以上。
伊地清阿彌
文政九年丙戌四月十日
高嶋新阿彌
新穗善阿彌
上床治阿彌
兒玉悅阿彌
雜記
種子茄子御茶入 一個
右種子島彈正祖父種子島左近家に被持傳候處、中納言樣御代被召上、藤重藤巖と申者へ御見せ被成候處天下之名物つくもと申候なすびの茶入に少も不相替、天下に三ッ候と昔より申習候内、二つは太閤樣に御座候て、大阪にて秀賴果候時燒候ものと少も不相違、此方の茶入は一段見事にて候、其時藤巖貴申候共、五百枚にて賣可申候と申候由家久公御譜中、島津下野久元伊勢兵庫貞昌書狀相見得申候。右御茶入の御禮彼此に、種子島へ有之候御藏入四千石餘、左近に被致拜領候由、是又家久公御譜に相見得申候。
(島津公爵家文書)
傳來
文政八年島津家久、種子島左近家より召上げられ、其代として四千石餘の知行を與へられたりとぞ、其火に逢ひしは、明治十年西南戰役の際なりしと云ふ。
實見記
大正十年九月二十日東京府荏原郡大崎町島津忠重公邸に於て實見す。
口作丸く、括り返し淺く、胴に沈筋一線繞り、裾以下鐵氣色土を見せ、底絲切稍荒く、底近くに一範繞る、底面にヒッキ及び指頭形あり、其中央に小さき土ホツレあり、總體天目釉の如き淺黄味を含みたる黑飴色にて、胴紐上より釉ナダレ裾に至りて止まり、露先に蛇蝎色あり、又之れと相竝びたる同一ナダレの露先にも同色を現はせり、火中に入りたりと覺しくて、釉カセあり、又總體大破を漆にて補ひたるが爲め原釉色を失ひたる所あれども、胴以下は總て原質を存して、蛇蝎色の景色頗る面白き處あり、內部口緣釉掛り、以下轆轤目立たず、僅に筋を成すのみ。總體格恰好く、此茶入にして無事ならんには、唐物茄子中一異彩を放つべきに、大破の爲め原狀を消失したる處あるは誠に遺憾に堪へざるなり。


