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筒井肩衝

筒井肩衝(つついかたつき)

古瀬戸 大名物 侯爵 徳川義親氏 所蔵

名称
筒井順慶が所持していたことに由来してこの名がある。順慶は織田信長に仕えて松永久秀を討ち、その功績によって大和国を治めるに至った。はじめ順慶には子が無く、明智光秀の子を養子に迎えて後継者としていたため、光秀が信長を殺害した(本能寺の変)際、まず順慶を誘ったが、順慶はどちらにもつかず形勢を観望した。これより世間で「日和見(ひよりみ)」のことを「筒井順慶」と称するようになった。後に豊臣秀吉に仕え、天正12年8月11日に病没した。享年36。深く仏学を好み、唯識論に通じ、さらに神道や儒教の書物にも精通し、和歌を巧みにした。また勤王の志があり、弘治3年の正親町天皇の践祚を祝賀し、その後のお即位の際にも物資を献上したという。彼の茶事については古文書で証明できるものは少ないが、当時の群雄(戦国武将)の一般的な嗜好として、彼もまた必ず人後に落ちない(人に遅れをとらない)風流人であったはずであり、特に文学の素養がある人物であったため、その数寄・風流の境地も一段とすぐれていたと思われる。

寸法(現代単位換算)
高さ:約 8.48 cm (2寸8分)
胴径:約 5.61 cm (1寸8分5厘)
口径:約 2.73 cm (9分)
底径:約 2.73 cm (9分)
甑高(首の高さ):約 0.67 cm (2分2厘)
肩幅:約 0.76 cm (2分5厘)
重量:約 91.13 g (24匁3分)
※計算基準:1尺=30.303cm(1寸≒3.03cm、1分≒0.303cm、1厘≒0.0303cm)、1匁=3.75g

附属物
一、蓋:一枚(象牙)
一、御物袋:紫羽二重
(※本来の本袋が大破したため、この新しい袋を用いている)
一、仕覆(袋):二つ
 ・茶地角龍古金欄(裏地:御納戸海気、緒・つがり:紫)
 ・白茶地金入造土模様金欄(裏地:玉虫、緒・つがり:紫)
一、袋箱:溜塗(ためぬり) 金粉文字形
一、挽家(ひきや):象牙 黒塗りで所々に星紋のように補修跡がある
 ・仕覆(袋):紫革 緒・つがり:天鰺絨(天鵞絨/ビロード)
一、箱:黒塗 金粉文字形
 (銘:「筒井順慶所持」「筒井茶入」)

雑記(文献の記録)
・筒井 瀬戸肩衝 尾張様。(『玩貨名物記』)
・筒井 瀬戸肩衝 大名物 尾張殿。(『古今名物類聚』)
・筒井 古瀬戸(『鱗鳳亀龍』)
・筒井肩衝 尾張殿 元禄11年(1698年)戊寅3月18日、5代将軍徳川綱吉公が尾張徳川家へ御成り(お出まし)の際、この茶入を献上。(『古名物記』)
・筒井肩衝 これに添う袋を「筒井切」といい、桜皮色。(『勝海舟本銘物記』)
・筒井 古瀬戸大名物 尾州公(尾張徳川家)筒井切切添え(茶入図あり)(『箒庵文庫甲第十七号』)
・筒井肩衝 古瀬戸 筒井順慶が所持していた品である。その後、徳川家康がこれを所蔵し、初代尾張藩主・徳川義直に譲与されて以来、当家(尾張徳川家)に代々伝来している。胴に蛇蠍(斑紋)があり、古瀬戸の黒色または柿色の釉薬があらわれている。胴の中ほどに細かい線が2本あり、底は糸切。(『尾州徳川家蔵品台帳』)
・筒井肩衝 古瀬戸 大名物 袋は白雲きりん。全体に鶉(うずら)斑点のある柿色の地に斑が混ざり、素地の釉薬はざらついて味わいが良く、金鉄分(鉄気)が多い。底には飛釉(飛び散った釉薬)があり、土をすくい込んだようになっていて土の色は見えない。底の糸切は毛のように細い。(茶入図あり)(『前田家御蔵品下留附録』)
・藤四郎(瀬戸の祖・加藤景正)の作品には自然と固有の手癖があるという。「米一」などの銘はその手癖によるものである。今、藤四郎作と称される有名な品々をここに挙げるが、その中でも吉光、青柳、筒井などは、中国(唐)の釉薬を用いて日本の土で制作したものであり、これらを「根抜瀬戸(ねぬきせと)」と村田(宗珠/珠光等)は言っている。(草間和楽著『茶器名物図彙』)
・寛永4年(1627年)5月3日、将軍(徳川家光)が尾張大納言義直卿の邸宅に臨幸された際のお相伴:水戸黄門頼房、藤堂和泉守高虎、立花飛騨守宗茂。
 一、掛け物:一休和尚 一行物
 一、茶入:鶴
 一、茶碗:三島暦
 一、茶杓:利休作「なみだ」
 (鎖の間 袋棚)
 一、茶入:筒井肩衝
 一、天目:灰被(はいかつぎ) 尼崎台
・寛永8年(1631年)辛未2月、尾張亜相(義直卿)へ大猷公(徳川家光)が御成り。
 お相伴:水戸頼房卿、立花宗茂
 (袋棚)
 一、水指:青磁
 一、茶入:筒井肩衝
 一、天目:灰被 尼崎台
(『東武実録』)
(『御会記』)

伝来についての考察
『尾州徳川家蔵品台帳』には「筒井順慶が所持していた品であり、その後徳川家康がこれを所蔵し、先祖(徳川)義直に譲与されて以来、当家に相伝している」とある。したがって、『古名物記』に「元禄11年3月18日に将軍綱吉公が尾張家へ御成りの際、この茶入を献上した」とあるのは、「この茶入『を用いて』お茶を献上した(点てて差し上げた)」という伝聞の誤り(誤伝)であろう。

実見記(実際に観察した記録)
大正8年(1919年)6月4日、名古屋市東区大会根町の徳川義親侯爵邸において実見観察した。
口作りは丸いが少し歪みがあり、折り返し(かえし)は極めて浅い。肩は丸みを帯びた撫で肩で、黒釉の中に柿色や金気色のムラが現れている。胴のおよそ半月にわたって1本の沈筋(凹んだ筋)があり、裾から下は鉄分を含んだ土色が見え、煎餅状の膨らみが数点ある。底の糸切は細く、縁は少し摩耗している。内部は口のまわりに釉薬が掛かり、ろくろ目が回転して底に至って渦状を成している。口のまわりにはわずかに補修(繕い)の跡がある。温厚で柔和であり、誠に上品な名物茶入である。

【原文】

筒井肩衝

古瀬戸 大名物 侯爵 徳川義親氏蔵

名称
筒井順慶所持せしに因りて此名あり。順慶は織田信長に仕へて松永久秀を伐ち、其功に由りて大和を管するに至り、先き順慶子なく、明智光秀の子を養ひて嗣となせしかば、光秀の信長を弒するや、先づ之を誘ひしに、順慶両端を持して形勢を観察す。是より世に日和見を以て順慶と称するに至れり。後秀吉に仕へ、又正十二年八月十一日病歿す、年三十六。覚て佛學を好み、唯識論に通じ、又神書儒書にも精しく、和歌を巧にせり。又勤王の志あり、弘治三年正親町天皇踐祚を奉賀し、其後御即位に際しても物資を進献する所ありたりと云ふ。彼の茶事に就ては、文書の徴すべきものなしと難も、当時群雄の一般的嗜好として、彼も亦必ず人後に落ちざりしなるべく、殊に文學の素養ある人なれば、其數寄風流も亦一段なりしならん。

寸法
高  貳寸八分
胴徑 壹寸八分五厘
口徑 九分
底徑 九分
甑高 貳分貳厘
肩幅 貳分五厘
重量 貳拾四匁參分
筒井肩衝

附屬物
一蓋 一枚 菓
一御物袋 紫羽二重
本袋大破の為め此新袋を用ふ
一袋 二ツ
茶地角龍古金欄(裏 御納戸海氣 緒 つがり 紫)
白茶地金入造土模様金欄(裏 つがり 玉虫 緒 つがり 紫)
一袋箱 溜塗 金粉字形
一挽家 象牙 黒塗にて所々星紋の如くに繕ふ
袋 紫革 緒づがり天鰺絨
一箱 黒塗 金粉字形
筒井順慶所持
筒井茶入

雜記
筒井 瀬戸肩衝 尾張様。(玩貨名物記)

筒井 瀬戸肩衝 大名物 尾張殿。(古今名物類聚)

筒井 古瀬戸(鱗鳳亀龍)

筒井肩衝 尾張殿 元祿十一寅年三月十八日綱吉公尾張家へ御成り の節、此茶入御献上。(古名物記)

筒井肩衝 これに懸る袋を筒井切といふ、櫻皮色。(勝海舟本銘物記)

筒井 古瀬戸大名物 尾州公筒井切かるゝ(茶入圖あり)(箒庵文庫甲第十七號)

筒井肩衝 古瀬戸 筒井順慶所持せし品なり。其後徳川家康之を所藏し、先祖義直に譲与せられ爾來當家に相傳す。胴に蛇蠍あり、古瀬戸藥黒色又は柿色を顯はす、中程に細筋二線、底糸切。(尾州徳川家藏品臺帳)

筒井肩衝 古瀬戸 大名物 袋白雲きりん、惣鶉斑地柿に打ちまじり、地藥ざらめき、味よし、かなけ多し、底飛藥あり、土すくひ込、土色見えず、糸切毛の如し。(茶入圖あり)(前田家御藏品下留附錄)

藤四郎作には自然と其手癖ありと云ふ、米一等は此手なり、今藤四郎作と唱へる名高き分を玆に出す、其内にも吉光青柳筒井等は、唐の藥を以て和土に製し是等を根抜瀬戸といふと村田言へり。(草間和樂著茶器名物圖彙)

寛永四年五月三日(家)尾張大納言義直卿の邸に来臨、御相伴、水戸黄門顆房、藤堂和泉守高虎、立花飛驒守宗茂。
一掛物 一休一行物
一茶入 鶴
一茶碗 三島暦
一茶抄 利休なみだ
鎖の間 袋棚
一茶入 筒井肩衝
一天目 灰被 臺尼崎
寛永八辛未年二月尾張亞相義直卿へ大猷公渡御。
御相伴 水戸頼房卿 立花宗茂
袋棚
一水指 青磁
一茶入 筒井肩衝
一天目 灰被 尼崎臺
(東武實錄)
(御會記)

傳來
尾州徳川家藏品臺帳に筒井順慶所持せし品なり、其後徳川家康之を所藏し、先祖義直に譲与せられ爾來當家に相傳ごあり。されば古名物記に元祿十一年三月十八日綱吉公尾張家へ御成りの節、此茶入御献上とあるは、「此茶入にて御茶御献上」の誤傳なるべし。

實見記
大正八年六月四日名古屋市東區大會根町徳川義親侯邸に於て實見す。口作丸くして少しく歪み、粘り返し極めて淺く、肩硝撫で、黒釉中に柿金氣色ムラムラご現はる、胴約半分に亘りて沈筋一線あり、裾以下鐵氣色の土を見せ、煎餅膨れ數點あり、糸切細く縁少しく磨れたり、内部口廻り釉掛け、轆轤目輪廻して、底に至りて渦狀を成す、口廻り少々繕ひあり、溫厚柔和にして誠に上品なる茶入なり。

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