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鶴田 純久の章 お話
吾妻野 あづまの
吾妻野 あづまの

薩摩筒茶碗。帖佐焼は薩摩諸窯の中でも最も古い窯の一つで、文禄・慶長の役(1592-8)に出陣した藩主島津義弘が連れ帰った、朝鮮の陶工金海(星山仲次)によって開かれ、藩主専用の御庭焼窯として、茶碗・茶入など雅陶を数多く焼成しました。
茶碗は、朝鮮から白土を舶載して焼いたと伝える火計り手、藩主の印が刻されている御判手と呼ぶ白系統のものと、鉄釉を基本とした黒系統の二種類があります。
この茶碗は筒形の中でも特に深いキリリとした姿で、黒・褐色・紫など複雑な呈色の鉄釉の中に、前面の白釉のなだれが見事な景色を形づくっています。
薩摩隼人を想わせる剛健な茶碗であります。
《寸法》高さ8.5 口径8.8~9.2

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