長次郎 赤楽茶碗 銘 道成寺

長次郎 赤楽茶碗 銘 道成寺
Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

高さ:8.6~8.9cm
口径:14.0cm
高台外径:5.4~6.0cm
同高さ:0.6cm

 勾当とともに、長次郎における異ふうの作として知られたもので、姿はいわば熊川形り、普通の長次郎に比べては薄作で、口縁端反りになり、胴は丸くなっています。素地は赤い聚楽土で、やや失透、光沢のない唐の土釉がかかり、膚の色は赤紫調で、一見、紫熊川かと見まごうほどです。釉ぎわ無造作で、高台は土見になり、平たく、あたかも指頭で撫でたようになっています。また高台の内は、かすかに巴になっています。
 宗旦銘の道成寺は、すなわち伏せた姿を鐘になぞらえたのによるもので、佗びた姿に色どりを添えて茶趣いよいよ深く、原叟の狂歌、またひとしお興を加えています。しかも見込みにはビードロのたまりあり、また高台脇の釉ぎわにも、ビードロがかったたまりがあって、雅趣豊かな景となっています。
 さらにこの茶碗において特に注目されるのは、異色あるその作ふうであって、いわば光悦ふうともいうべきその特色は、鴻池道億がいうところの本長次郎に当たるもので、丸作りや平たい高台など、光悦スタイルのオリジンをここに見いだすことができましょう。その作ふうや釉法からみて、道成寺は、おそらく長次郎でも初期の作とみてよいでしょう。なお高台には漆繕いがあります。
 従来、長次郎の茶碗で、この種の作としては、勾当が有名でしたが、ただ長次郎通途のタイプとは、すこぶる異ふうであるために、いわゆる茶方の伝統的な好みからは、あまり留意されなかったようです。それが近年になって、長次郎の研究の掘り下げとともに、楽茶碗の創生の問題と関連して、にわかにこの種の作が注目されるようになり、この機運に促されて道成寺も、急に斯界に登場するようになりました。いわゆる長次郎型形成以前の、ナイーブなその作ふうには、かえってフレアソユな感じさえあって、長次郎における新しい魅力の発見を思わせます。光悦も、おそちくこの魅力にひかれ、示唆されて、彼の新しいスタイルを作陶したのでしょうが、これを取り上げて、恰好な道成寺の銘を付した宗且もまた、その枠にとらわれない、自由な審美の目をたたえられねばなりません。さらに茶方の中核にありながら、この異色によく着目して取り上げた戸田露朝、ひいては伝統の壁の中にあって、すぐれた好みのままに、ふるってこれを手に入れた数寄者亀田是庵の見識も、偉としなければなりません。付属物は、
内箱 薩摩杉白木 蓋裏書き付け 宗旦「道成寺 咄々斎(花押)」
外箱 桐白木 蓋裏書き付け 原叟「長次郎焼 赤茶碗 宗旦銘 道成寺 左(花押)
鐘の音のそれにハあらて道成寺 これそ茶わんの名にそ聞ゆる」
添え書き付け 一通 戸田露朝
 伝来は、宗旦、原叟から、のち名物数々の所持で有名な、信州上田城主松平家に長ぐ所蔵されましたが、大正元年、同家蔵品売り立てのときに、谷松屋(玄庵露朝)の手に入り、その後、金沢の亀田是庵の愛蔵するところとなり、戦後にいたって、関西某家の有となり、現在に及んでいます。
(満岡忠成)

赤茶碗 銘 道成寺

高さ8.9cm 口径14.0cm 高台径5.4~6.0cm
 内箱蓋裏に「道成寺 咄々斎(花押)」と宗旦が書き付け、外箱の蓋裏には「長次郎焼 赤茶碗 宗旦銘 道成寺 左(花押)鐘の音のそれにハあらて道成寺 これそ茶わんの名にそ聞ゆる」と覚々斎原叟がしたためています。古い伝来は判然としませんが、のちに信州上田城主松平家に伝わり、大正元年に同家から谷松屋戸田露朝を経て金沢の茶人亀田是庵の蔵となり、第二次大戦後関西某家に移りました。
 長次郎焼の茶碗のなかでは異例の姿で、その作振りは高麗茶碗の熊川に近いです。手挫ねで較櫨びきの茶碗の姿を倣っていることなどから、あるいは宗易形茶碗に先行するものではなかったかと考えられます。かつて私は、天正八年に千利休が茶会で用いている「ハタノソリタル茶碗」とはあるいはこの種の茶碗ではなかったかと推測しましたが、もちろんそれを実証する資料はありません。ただ茶碗の姿や高台の作りがいかにも素朴であり、土味や釉が天正二年銘の「獅子瓦」(図90)に近いことから、長次郎焼としても古作ではないかと推定して、「ハタノソリタル茶碗」に当てたのです。茶碗の外側裾回りから高台にかけて不規則に溜まった柚がかりの趣は、のちの赤茶碗には見ない無造作なもので、ことに高台の作りもまったく形式化していません。
宗旦の銘は、茶碗を伏せた姿を道成寺の鐘になぞらえたものであることはいうまでもありません。

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