池田弥七 いけだやしち

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

播磨国(兵庫県)姫路焼(東山焼)の陶工。1850年(嘉永三)徳川家慶が姫路藩主酒井家の江戸藩邸へお成りの沙汰がありました際、東山焼を献上することになり、藩命によって弥七その棟梁となって京都の三代高橋道八二代水越与三兵衛らの陶工と陶画工雀亭珍月を招いて百日間でその品を製作したと伝えられています。1856年(安政三)には焜炉を発明し、1861年(文久元)に職を辞めるに当たって焜炉をつくり城内・城外の組頭に贈ったが、以来弥七焜炉と称して一般に販売するようになりました。1877年(明治一〇)没、七十五歳。弥七焜炉は姫路焜炉の名でも呼ばれ二代弥七はもっぱらこれを製作した。1911年(同四四)二代弥七没、六十八歳。
三代弥七は煉瓦会社を管理した。(『日本陶瓷史』)

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