九谷焼の陶画工。
代々桶屋の姓を名乗っていたがのちに斉田と姓しました。
晩年の号は道開。
1804年(文化元)加賀国能美郡佐野村(石川県能美市佐野町)に生まれ、文政(1818-30)の初め若杉窯で三田勇次郎について赤絵および彩色法を学び、また山代村(加賀市)の豆腐屋市兵衛について南京写し染め付け法を学んです。
1822年(文政五)に京都に行き四年間水越与三平について研究、1827年(同一〇)肥前伊万里に出かけて宇右衛門から伊万里の画風と焼窯法を修得しました。
その後さらに尾張・美濃・丹波などを遍歴、1830年(天保元)郷里に帰り若杉窯の橋本屋安右衛門に招かれて修得した技術を大いに発揮しました。
1835年(同六)郷里佐野村で陶画の教授を始め、二度焼その他の進歩した陶法を広めましたが、入門者数は数十名に及んです。
1858年(安政五)佐野村の中川源左衛門らに勧めて同村に素地製造業を起こさせたが、佐野村の陶業が盛大となったのはここからでありました。
1868年(明治元)没、六十五歳。
村民はその徳をたたえて同年一祠を建て祖霊社と称し、翌年には門人たちが紀功碑を建てました。
伊三郎が始めた画風のうちに百老手と称するものと、竹人ものと呼んで竹林の七賢を描いたものがあり、1897年(同三〇)頃まで九谷焼の代表的な図柄となっていました。
ほとんど印款がないがまれに角福があります。
また角福の左隅外に「伊」の字を書き添えたものもあります。
(『九谷陶磁史』)