島津斉彬 しまずなりあきら

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鶴田 純久の章 お話

薩摩藩島津家二十八代の主。
二十七代斉興の子として1809年に生まれました。
幕末の騒然とした時局にあって識見は非常に深遠であるようで、朝廷を厚く尊奉しました。
また早くから領国の産業の方向を洞察して、1853年(嘉永六)磯別邸内に集成館を創設し、理化学の原理に考えて諸種の事業を試験経営し、その規模ははなはだ広大でありました。
陶磁器においては磁器の製造に力を尽くし、輸出を図り、釉薬を改良し、また鍋島藩と国産イス灰のことを交渉しました。
さらに御庭焼を設け自らも楽焼きをつくるなど発明や改良の奨励はすこぶる多く、薩摩焼に一新機釉を出しました。
1858年(安政五)没、五十一歳。
(『薩摩焼総鑑』)

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