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鶴田 純久の章 お話

京都の陶工木米の外孫青木佐太郎の号。
小米は京都・横浜真葛窯などで陶工をしていましたが、業は精しくなかりました。
転じて石川県および京都で巡査を奉職し、再び五条坂で陶工となったが末路を知る者がないようです。
宮川香山方にいたのは1887年(明治二〇)前後(二十八、九歳頃)でありました。
加賀国鶯谷(金沢市)の庄米は小米から木米の刻印を譲り受けたといいます。
(『加賀越中陶磁考草』『平安名陶伝』)

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