『易』繋辞に「水を承くるの器なり」、『儀礼』士冠の注に「洗は盟洗を承くるもの、水を棄つるの器なり。
水の地を似さんことを恐れ、洗をもって盟洗の水を承けて、これを棄つ。
故に水を棄つるの器と云ふなり」とあります。
古く洗は水を受ける器または盟洗の捨て水を受ける器で、中国漢代の礼器の制度では天子は黄金を用い、諸侯・大夫・士は白銀・銅・鉄を用いました。
A図は周の素洗で『清会典』にみえます。
漢の洗も形制はほぼこれと同じで多くは双魚文を刻しています。
漢から六朝初期にかけての越州青甕器にも双魚文その他の洗があります。
土製のものはこれの模倣で、後世は筆すすぎを筆洗または単に洗といいます。
『飲流斎説甕』に「洗なるものは古時にありては之を盆に属せり、双魚洗の類是なり、近世之を筆洗に属す、即ち水中丞の類是なり、筆を洗ふの器なり、浅きを洗といひ深きを孟といふ、康煕窯の侃豆紅、蔀果緑の筆洗殊に尤物なり、咽脂水の如きは亦珍品たり、窯変或いは泥均も亦珍とすべし云々」といいます。
朝鮮の筆洗をわが国の茶人は茶碗に用い、筆すすぎと称します。
B図は『訓蒙図彙』にみえる洗で、俗にこれを飯銅というと注しています。
『商売往来』に「飯銅は古の洗なれど後世その用を変じて大鉢に用いたるが如し」といいます。