珠光青磁不遊環花入 じゅこうせいじふゆうかんはないれ

珠光青磁不遊環花入
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鶴田 純久の章 お話
珠光青磁不遊環花入
珠光青磁不遊環花入

色合いや土味などから、本歌は中国民窯青磁のようでありますが、茶碗の珠光青磁と同窯であるかどうかは不明であります。
注目されるのは耳の造形で、瓢形状に湾曲した肩のところに鶯のような鳥が貼布されていて、不遊環の環も無頓着に土の輪をつくって貼り付けた感じで、砧青磁の端正な耳の造りとまったく趣を異にしています。
珍しいのは胴の中央に帯状の線割りと播座がめぐり、ここに文字が彫られていることで、半面に「紅城5月落梅花」の詩が読みとられ、首にも「寿」の字があるところから茶趣の作意も感じられます。
また、のちに淡々斎好みの写しができています。
《付属物》箱-書付玄々斎宗室筆《伝来》裏千家《寸法》高さ22.4 口径6.8

珠光青磁 しゅこうせいじ

珠光青磁不遊環花入
珠光青磁不遊環花入

内面に画花文・櫛目文を施し、外面にいわゆる猫掻文様がある一種の青磁であります。
多くは透明質の淡暗黄褐色の釉薬を施し、胎土にはわずかな鉄分があります。
遺品は主として茶碗の類で、その他鉢や皿などがあるがいずれも底足に釉薬のないのを特徴とします。
珠光青磁の名は珠光の愛用した茶碗にこの手のものがあったのによる。
ただしその茶碗は本能寺で失われたと伝えられます。
なお異説があるようで、『青磁考略』には「珠光は大形手と同時代のものなり、珠光南都の称名寺に住す、因て同寺に所蔵せる磁器にこの名ある所以なり、瀬戸に似せたるもの多くして大なる方なり、珠光が所持したるが故にこの名ありと云へるは非なり、蓋し珠光が住せる寺より出でたる者多きが故に世大之を名けて珠光と云ひしなり」といいます。
伝世の珠光青磁茶碗の有名なものには、京都の医師長崎昌斎所持のち加藤正義蔵となった無疵の一碗があります。
この手の破片は鎌倉海岸・博多海岸・唐津なきびすの森(昔の海岸)などから南宋の遺片に伴って発見され、また中国浙江省杭州府外の南宋の遺跡からもその残片を出土しています。
ほぼ南宋を降らないものであるでしょう。
その窯は余杭窯または南宋余姚窯であるだろうといわれます。
昔は高麗茶碗の首位に挙げられていました。
ちなみにこの手の茶碗はおおむね薄づくりで、高台が低く平形の大茶碗であります。
(『陶器集解』『青甕説』『大正名器鑑』『陶器講座』三)

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