奈良時代末期から平安時代にかけて多くの須恵器が焼かれたわが国最大の須恵器窯跡群。
岩崎地区は天白川流域から北方の丘陵に東西七キロ、南北五キロの範囲にわたって分布し、愛知県愛知郡長久手村・同郡日進町・名古屋市の一部を含む地域であります。
須恵器・甕器窯を含めて六十基の窯跡が知られています。
折戸地区は猿投古窯址郡の中心に当たる地点で、天白川と境川にはさまれた丘陵地帯にあって、愛知郡日進町・同郡東郷村に属しています。
須恵器・甕器窯を含めて七十六基が知られています。
黒笹地区は猿投古窯址郡東部に位置しており、境川上流の丘陵地帯と、南部の西加茂郡三好町・愛知郡東郷村・豊田市の一部に属するものと、境川・逢妻川にはさまれた丘陵の三好町南部から刈谷市井ヶ谷・豊田市高岡町に属するものの二群に分かれて分布し、須恵器・甕器窯を含めて百六十二基が知られています。
また鳴海地区は境川と天白川にはさまれた西南方の丘陵地帯にあるもので、名古屋市昭和区天白町平針・同市緑区・愛知郡東郷村・同郡豊明町に属するもので、須恵器・甕器窯を含めて五十基が知られています。
そのうち四基は緑釉陶窯であります。
猿投窯の須恵器は古墳時代の須恵器と同じ器型のものでありますが、焼成焔がこれと異なり、甕器窯と同じ性質の焔で焼かれており、灰白色の肌色のものが多いようです。
精巧な琥轜成形で行なわれ、甕類はタタキ手法が用いられているが薄肉づくりであります。
窯道具も高度な窯業技術が行なわれていたことを意味しています。
濃い緑釉がみられ、水瓶・浄瓶・長頚壷・多嘴壷・大舎杏炉・合子・陶馬・陶硯・陶塔・陶枕・唾壷・壷・甕・瓶・坏・高坏・碗・皿・盤・隻・甑・鉢など多種類のものがあるようで、用途別にこまかく分類すると百種類にも及ぶものが発掘されています。
(『陶器全集』猿投窯本多静雄)