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鶴田 純久の章 お話

中国周代の酒器。
中国古代の飲酒器のうちで最も特殊な形を有し、古銅器のうちで最も華やかな美術的形態を具えています。
銅器の爵は西洋の兜を逆さにしたような器体で、一方は尖って尾となり他の端は長く流れとなり、その4央には二本の柱があります。
器側には盤(把手)があって尖った三足の上に載っています。
『説文』に「爵に象るは、その鳴くこと節々足々たるを取るなり」といい、『博古図』爵総説に「爵は則ちまたその雀の象を取る。
蓋し爵の字は雀に通ず。
雀の小さきものの通、下は順にして上は逆なり。
傀して啄み、仰いで四顧す。
その慮患う」といい、この器は雀の形を象り、よく飛んで溺れないことを示すとか、雀のように少飲であるよう大酒するのを戒めるものであるなどといいますが、これらは爵の起原を説明するものではなく、ただのちに付与された中国の学者の倫理的解釈にすぎないようです。
この器形はおそらく獣角からきたものであるだろうが、他の多くの器物の場合のように、いったん土陶器に写されIその間に変化し、さらに金属器に戻されたものか否かを考えると、土器の発達が間接的にあらゆる銅器製作に影響したことは否定し難い事実でありますが、素焼の土器は酒を盛りまたは酒を飲む器としては、その浸透性と一種の土臭から決して適当なものとは考えられないので、祭祀喪葬の儀礼の場合などのほかは、実際の飲酒の器としては口ざわりのよい獣角が長い間使用されたのであるでしょう。
ただ単純な飲器としてではなく三足を具えた礼器としての爵は、すでに成立していた剛・鼎の三足のようなものが土器としての爵形に付いたものとも考えられます。
この点において、河南省安陽の殷墟から発見された両柱がなく三足を有し流のある土製の爵形品をもって、李済が銅爵の早一期的な古い形であるとみて、爵形の演化を図示しだのはすこぶる有益な見解でありますが、また銅爵を簡単化した模写品とみる者もあるようだ(『安陽発掘報告』第三期「俯身葬」参照)。
なお同種の爵形土器が羅振玉の『古明器図録』中には陶琴として掲げられています。これらの土製品はみな柱を欠いています。
爵は一升(一・八リットル)が大るとされ、諸侯が朝見の際天子はこれに爵を賜い、それに玉・角・金・銀などの等級を分けていました。
これは後世の爵位の称の由来となるものであります。
また朝鮮鶏竜山窯および同時代の窯にも磁製の爵がみられます。
これは祭礼器であったようであります。
酒器としての爵は周代に盛行し、杯が行なわれるようになって影を消したが、後世は香炉にその形を留めています。和訓はさかずき。

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