辰砂釉 しんしゃぐすり

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鶴田 純久の章 お話

磁器に用いる色釉の一種で、血紅色を呈するものです。
昔から中国において製され、朝鮮やわが国においてもまたこれに倣りました。
辰砂釉の名は硫化水銀から成る天然朱の辰砂の色とその色を同じくするので名付けられたものであるでしょう。
この血紅色を現わすための主要なものは銅化合物であるようで、これを弱い磁器釉に混ぜて還元焔で焼成するものであります。
中国の辰砂手(釉裏紅と呼ばれる)には舞紅・郎窯・炉均釉器・積紅のようなものがあって、その系統は宋均窯といわれる紅紫釉から出た。
明朝の宣徳年間(1426-35)に舞紅の発明があるようで、これは祭紅・宝石紅などと呼ばれ、鮮かで落ち着いた紅色調で、非常に上品な釉調でありました。
この舞紅手は明末万暦(1573-1620)の中頃から中絶しました。
清朝の康煕(1662-1722)になって「康煕に始まり康煕に終わる」といわれた郎窯手が出た。
その真紅色は鶏血のような牛血のような紅色磁であります。
雍正(1723-35)に至ると炉均釉が創製され、その紅紫色の釉調は宋均窯の紅紫色を彷彿とさせ、むしろより鮮かな色合いでありました
わが国においてはこれを辰砂窯変または単に窯変といって珍重しました。
積紅手というのは今なお盛んに景徳鎮において焼造されている辰砂手で、その色合いの舞紅手・郎窯手との区別は説明しにくいが、その工程は異なっています。
中国磁器は若干の例外はあるが一般に素焼の工程を経ず、生素地にただちに釉を施して本焼するものであるようで、舞紅手・郎窯手はこの生掛けであります。
この場合は焼成の大加減にすこぶる苦心を要し、辰砂釉の見事な呈色を得るには相当の困難を感じるものであります。
しかし施釉前に一度本焼をし、これに辰砂釉を掛け再度本焼を行なえば容易に見事な紅色の辰砂手が得られ、この工程によって焼かれたものを景徳鎮などでは積紅手といいます。
この手のものはおおむね間違いなく紅色を呈して窯変は少ないようでありますが、胎と釉との融和の不足というような一種のもの足りなさを感じる。
このほか広東郎窯と通称される辰砂手があります。
歴史は古くないようで、黄褐色の妬器胎のものに辰砂手の釉を掛けたもので、その呈色は真紅色というよりも朱紅色に近く、またやや下品な感じがします。
辰砂手の色の変わったものすなわち窯変もまた真紅に劣らず賞翫されます。緑変したものは頚果緑またはアップルグリ一ンと呼ばれて極めて値が高い。
また小豆色のような辰砂手は慰豆紅といわれ、淡紅色のものは桃花片といい、イギリス大のいうところのビ一チブル一ムであるようで、これもまた市価があります。
灰色がかったものは乳鼠皮などと称されて数寄者間に喜ばれる。
朝鮮李朝の辰砂手は真紅沙器・朱点沙器・鮮紅沙器などといいます。
わが国の辰砂手にはほとんどみるべきものがないようです。
近年になって有田の初期の作品に辰砂で彩文した白磁のあることが知られてきたが、さして優秀な作とはいえずまた数もあまり多くはないようです。
(『匋雅集』『辰砂手に就て』『朝鮮陶磁名考』)

辰砂 しんしゃ

磁器に用いられる銅の色釉の一種で、鮮紅色を呈します。
中国の元・明時代は「釉裏紅(ゆりこう)」とも呼ばれました。

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