精磁会社 せいじがいしや

鶴田 純久
鶴田 純久

肥前有田にあった磁器製造会社。
1874年(明治七)に外国への輸出品の大量生産を目的として設立された香蘭社から分離してできたものです。
社員に深海墨之助・手塚亀之助・辻勝蔵・川原忠次郎らがいました。
1879年(同二一)上幸平に工場を起こし、1887年(同二〇)忠次郎によってフランスから輸大した新式製陶機械を据え付け、宮内省御用品をも調進するようになりました。
その製は非常に高尚であるようで、模範工場の名をもって声名が遠近に伝わり、一時有田の黄金時代を現出しました。
しかし1886年(同一九)深海墨之助か病死し、続いて1889年(同二二)川原忠次郎が没するなど有力社員を失ったため、技術的首脳がなく次第に衰退し、ついに会社は石田恒右衛門の所有に帰しました。
のち1905年(同三八)大風害に遭い工場が倒壊したためまったく廃止となっ蜜月誉です。
使用した銘は所ヽ掲のようなものであります。
(『有田磁業史』『有田古陶磁銘款集』)

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