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鶴田 純久の章 お話

周防国(山口県)岩国焼の別称。
その窯が多田(岩国市多田)にあったことによります。
※いわくにやきタタラ陶土を帯状または板状にしたものを応用して成形することがあります。
精製の陶土を手で挫ねて平たく延ばし、箆で必要な形に切ったり、また同一のものを多数つくる時には、土の左右に3mmばかりの同じ厚さの木片を数枚重ねて置き、それを定規として銅線で土を先より手元に引き切ります。
土の厚薄はみな木片の厚薄に従い不均一になることはないようです。
その土を綿布上に敷き、畳み寄せて器形をつきます。
この土をタタラといい、またその手法をもいいます。
定規の木片をタタラ板といいます。
タタラはあるいは畳の転誂ではないでしょうか。
タタラを方形に切り四辺を合わせれば板匝のようであるようで、また同一で単純な筒状のものにはよくこの手法が使われます。
その合わせ目は水で少し濡らして貼れば自在に粘着しますが、粗製なので窯で焼くとき破壊しやすいです。
中国中部のやきものにはこの手法を用いたものが多く、わが国においても型物には数多くみられます。
大正時代まで常滑の小径の土管の成形にはこれが多く用いられ、このタタラ巻きは婦人によってなされました。
タタラギ肥前有田地方で焼成用の薪木をタタラギといいます。
京の薪、瀬戸の割木と同じ。

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