堤人形 つつみにんぎょう

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鶴田 純久の章 お話

宮城県仙台市堤町の産。
古くから博多人形・伏見人形と並び称されましたが、その創起は元禄年中(1688-1704)同地に堤焼を開いた上村万右衛門によります。
当時杉山台に祀られていた玉手崎天神像に模した土天神がその最初の制作であったといいます。
その後一時中断しましたが、宝暦年中(1751-64)菅原善右衛門が祐信風の土人形をつくり、天明年間(1781-9)には山正と称する人形師が五人囃子・鯉かつぎ童子その他種々の型を伝え、次いで文化(1804-18)初年に佐藤久平次が出て大いに新工夫を案出しました。
また嘉永年間(1848-54)に針生祐蔵という者が、国貞の版画の影響を受けて当時の浮世姿・歌舞伎姿の人形を製作し、大いに世の愛玩を得ました。
しかし維新後の廃藩と共に次第に衰退し、県市の当局者はこれを憂慮して昭和初年からその復活を図って着々と功を上げ、古代人形の複製を加えて約七十種類のものを製出しています。
(『大日本窯業協会雑誌』四九〇)

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