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書本

お話

厳兌・伊都閑 いつべ

祭式に用いる土器。『日本書紀』神武天皇即位前戊午年に、天香久山の土で「いつへ」をつくったことが載っています。斉兌と同じ。当初は「はにもの」であったらしいが後世は「すえもの」を普通としました。(『日本書紀』)※いわいべどき
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井戸茶碗 いどちゃわん

井戸茶碗は朝鮮茶碗の王者といわれ古くから茶人間で最も珍重され、「一井戸二楽三唐津」などと唱えて賞翫されました。井戸は最も名品が多いというだけでなく数量も種類も他の茶碗の数倍もあるのは、おそらく朝鮮で最も広く民間に普及し窯数も多く名工も豊富に...
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一方堂 いっぽうどう

京都の名家角倉玄寧の号。天保年間(1830-44)嵯峨の別荘に窯を築き、仁阿弥道八を招いて雅陶を焼いました。「一方堂」印を捺したので世にこれを一方堂焼といいます。
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糸取鍋 いととりなべ

明治年間絹糸工場で繭を煮るのに蒸気を用いるようになって採用された陶磁器製の糸取鍋。磁器製のものは冬季には急熱のため割れやすいですので、かえって陶質のものが好まれ主に会津または信楽産であったらしいです。(塩田力蔵)
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凍土 いてつち

凍らせた土。瀬戸地方では、泥状の原土の余分な水分を除き適度の湿土にするために、原土を板に載せて夜の寒気で凍らせ、そのあと板を立てかけて太陽に当てて凍土を融かして水分を流下させる方法があり、この法を凍土と称しました。
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井戸八蔵 いどはちぞう

筑前国(福岡県)高取焼の創始者。もとは朝鮮韋登の人で、文禄・慶長の役(1592-8)のあと黒田長政に従って渡来。同じく韋登の人で八蔵の姻戚の新九郎もまた加藤清正に従って来ました。長政はこの二人に命じてその領地筑前で製陶させました。※たかとり...
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韋登 いと

朝鮮慶尚道の地名といわれているが明らかでないようです。萩焼の創始者高麗左衛門、高取焼の創始者八蔵および新九郎は帰化朝鮮人で韋登の出生であるといいますから、同地に陶業があったのでしょう。井戸茶碗の名称は韋登から出たという説があります。
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井戸吹墨 いどふきすみ

井戸茶碗小貫入の一手。朝鮮産。火加減で墨色が見事に吹き出て思いがけない景色を呈したものであります。(『高麗茶碗と瀬戸の茶入』)
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一光 いっこう

越中国(富山県)の横萩錦三郎(初め土谷姓)号。天保(1830~44)の頃唐津師として富山藩主前田利保に招かれ現在の富山市寺町に仮寓し、彫刻も巧みで一光の号は藩主から賜わったもの1858年(安政五)埴生焼・竹亭焼の製陶に助力し、1861年(文...
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伊藤允譲 いとういんじょう

伊予国砥部五本松(愛媛県伊予郡砥部町)の人で五松斎と号しました。砥部焼が振るわないのを嘆いて1877年(明治一〇)肥前有田から職工を招き、自家に貯蔵していた判金を費やして青花や錦欄手を製作しましたが、失費のため間もなくやめました。1910年...