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人物

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入川佐七 いりかわさしち

伊予国(愛媛県)の陶工。ある本には佐吉とでています。双海町 伊予郡浜村の人。1865年(慶応元)に下浮穴郡七折村(砥部町七折)の阪本源兵衛の窯を再興したが三年で廃絶しました。(『府県陶器沿革陶工伝統誌』)
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入谷乾山 いりやけんざん

京都の陶工尾形乾山の江戸入谷(台東区)における作品を指していいます。享保(1716-73)の中頃に江戸に行き製陶しました。旧入谷村の八番地または三十五番地のあたりにやきもの屋敷の旧称が残っていますので、おそらく乾山の死後もその窯は焼き続けら...
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岩尾兼太郎 いわおけんたろう

明治初年の有田焼の陶工。岩尾兼太郎の家は二百数十年前の創業で、特に製品は精巧で値を安くすることに努めたらしいです。(『府県陶器沿革陶工伝統誌』)
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岩島角兵衛 いわしまかくべえ

美濃国土岐郡稲津村小里窯(岐阜県瑞浪市稲津町小里、別称稲津焼)を始めた人。元禄年間(1688~1704)の創業でありましたが、その子孫の代になっていつしか中絶したといわれます。(『岐阜県産業史』)
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岩月捨吉 いわつきすてきち

陶画工。近江国(滋賀県)彦根の人で、1857年(安政四)藩窯湖東焼の御抱え稽古人となり、幹山伝七から陶画を学んです。廃窯後伝七と共に京都に移りその工場に入って絵付に従事。その作品は非常に優雅で、特に御所物と称し有職模様が巧みで、宮内省御用品...
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岩永幸一 いわながこういち

肥前国藤津郡八本木村(佐賀県鹿島市)浜山窯の陶工。窯の創始は詳かでないが、岩永幸一は1862年(文久二)その業を継ぎ、肥後国(熊本県)天草郡深江の原石を用いたといわれます。(『府県陶器沿革陶工伝統誌』)
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岩波喜山 いわなみきざん

信濃国(長野県)諏訪の素人陶工。モースは「雪散や岩波喜山、茶道を好み1840年(天保一一)偶々諏訪にありし吉左衛門に楽焼を学び、同年その地に小窯を築き茶器を出します。〈雪散や〉または〈陶叟造〉の銘あり。〈雪散や〉は彼の住居の称にして陶叟は彼...
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岩松三郎右衛門 いわまつさぶろうえもん

肥前有田の製陶家。天保(1830-44)の初めに良好な磁器を製出していたといいます。岩松平吾はその子孫。(『府県陶器沿革陶工伝統誌』)
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岩松平吾 いわまつへいご

肥前有田上幸平の窯家。膳付物食器および茶器をつくり、それらの素地着画の意匠などにすぐれていました。事業長じ信用があり晩年業を子に譲り、有田泉山磁石場の監督に当たって古来乱掘にまかされていた坑区を整理して面目を一新しました。1890年(明治二...
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井上世外 いのうえせがい

本名馨。明治の財政政治家・外交家。世外はその号。1835年(天保六)長門国(山口県)に生まれ、近代日本資本主義の育成に貢献し、また文化財の保全に努めました。世外はまた1895年(明70治二八)の還暦の頃から東京でしばしば茶会を催し、晩年の1...