お話 韋登 いと 朝鮮慶尚道の地名といわれているが明らかでないようです。萩焼の創始者高麗左衛門、高取焼の創始者八蔵および新九郎は帰化朝鮮人で韋登の出生であるといいますから、同地に陶業があったのでしょう。井戸茶碗の名称は韋登から出たという説があります。 2011.05.05 お話原色陶器大辞典
お話 為足庵 いそくあん 名古屋の日蓮宗法華寺の住職。文化年間(1804-18)の人で日義と称しました。常に茶事を好み退隠後は名古屋の東南前津の里に庵を設けて為足庵と名付け、楽しみに陶器をつくって所掲のような印を押しました。晩年の作品には啓運老比丘と書いたものもあり... 2011.05.04 お話原色陶器大辞典
お話 一入 いちにゅう 楽家四代。三代道入の子。1640年(寛永一七)生まれ。初名佐兵衛、のち吉左衛門。一入というのは1691年(元禄四)剃髪隠居後の法名。1696年(同九)没、五十七歳。前作にはまだ父ノンコウの影響がみられますが、のちには穏やかな作風となり、高台... 2011.05.04 お話人物原色陶器大辞典
お話 一楽 いちらく 尾張国(愛知県)の雅陶。一楽は尾張然の老臣滝川豊後守で、先祖は文政年間(1818-30)の滝川一益。退隠して一楽と改名し茶碗・香合の類をつくり瀬戸窯で焼いました。また楽焼を模したがどれも風雅な品であります。どの器にも所掲のような款があります... 2011.05.04 お話原色陶器大辞典
お話 磯御庭焼 いそのおにわやき 薩摩焼殿窯の一つ。その伝系には四度の変遷があります。すなわち斉彬御庭焼(集成館、錦谷窯場)、仙巌焼(忠義-御庭焼研究所)、新御庭焼(忠重)、磯焼(市来窯)であります。島津斉彬は富国策によって1853年(嘉永六)現在の鹿児島市吉野町の磯別邸内... 2011.05.04 お話原色陶器大辞典
お話 市之倉窯 いちのくらがま 岐阜県多治見市市之倉町にある窯。加藤与左衛門常政(1595-162、瀬戸の初代藤四郎景正の子孫といわれる)を同地の陶祖とし、その曾孫与一郎成光、玄孫長七・忠道らいずれもこの業に貢献するところが多かったです。近年は盃の製造で知られています。当... 2011.05.04 お話原色陶器大辞典
お話 一竜一鳳 いちりゅういっぽう 中国陶磁器で、この文様のあるものはだいたい歴代君主の結婚を記念して製したものであります。宣徳(1426-35)の青花にこの文様のあるものが最も有名で、康煕(1662-1722)・乾隆(1736-95)の品もまた貴ばれています。(『飲流斎説甕... 2011.05.04 お話原色陶器大辞典
お話 板掛け いたがけ 瀬戸系の陶窯では、成形した素地を並べた板を受けるものを板掛けといい、仕事場・ジモロなどの天井に取り付けたものは吊板掛けといい、戸外のものを干板掛けといいます。 2011.05.04 お話原色陶器大辞典
お話 一ノ瀬窯 いちのせがま 佐賀県伊万里市大川内町にありました。窯の創始年代は明らかでありませんが、有田磁器の分派に属し外山の一つに数えられています。明治中期に大串辰二・竹下勝七・大串茂右衛門・前田鉄蔵・岩崎久兵衛らの工人がいて、丼類を主とした普通染め付けの雑器を焼い... 2011.05.04 お話原色陶器大辞典