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陶芸

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影青 インチン

白色半透明の薄い磁胎に淡青色の透明釉を施したもので、その釉が肌に刻まれた画花・陰花などの文様部に溜まって他よりも青くみえますので、中国ではこれをインチン(影青の漢音)と呼んです。近頃では青白磁と呼び慣わしていますが、これは中国と欧米で青白-...
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有我焼 うがやき

尾張国(愛知県)の雅陶。嘉永年間(1848-54)名古屋本町の古物商増田三郎右衛門(有我と号し、通称宇治屋三郎右衛門)は、茶道の心得があり陶器を好み、自ら城北上宿に窯を築いて製作しました。人々はその作品を賞して有我焼といいましたが、売物では...
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宇治田原焼 うじたわらやき

国焼茶入の窯に宇治田原焼というのがあり、俗に朝日焼と同一視されていますが、宇治田原(京都府綴喜郡宇治田原町)は宇治(同府宇治市)とは別の地名で、信楽(滋賀県甲賀郡)に近い山間の僻地であります。ここで果たして茶入が焼かれたかどうかは不審であり...
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伊部焼 いんべやき

備前国(岡山県)の炻器。備前市伊部で産し、尹部焼・印部焼とも記し、一般には備前焼と呼びます。【沿革】備前の地で土器を製出しだのは古いですが、備前焼としての起こりは鎌倉時代で、当初の害窯は熊山山腹にありましたが、のち今の伊部付近で焼くようにな...
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宇賀焼 うがやき

出雲国意宇郡乃木村(島根県松江市乃木)の陶器。天明・寛政(1781-1801)の頃、もと因幡藩士で当時松江の開業医であった一条来翁の出資によって始まった。しばらくして長門国(山口県)萩から細工師与之助ら四人を招き、また後援者出雲藩士山門吉太...
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牛戸窯 うしのとがま

因幡国八頭郡西郷村字牛戸(鳥取県鳥取市河原町牛戸)にありました。天保年間(1830-44)同地の瓦工平八のあとを受けて金河藤七が製陶を始めましたが、石見国(島根県)の人小林梅五郎がさらにこれを受け継いでします。1870年(明治三)に梅五郎が...
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印紋陶 いんもんとう

字義からいえば型押し文のある陶器ということでこの定義に該当する作例は東西に少なくないようです。しかしこの呼び名が主として用いられたのは、中国の上代に各地でつくられた叩き目のある陶壺類で、現在印紋陶といえばそれらを指すのが普通であります。中国...
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浮窯 うきがま

地上の登窯。地中の窖窯を沈窯というのに対する称呼で、備前国(岡山県)伊部あたりの語。瀬戸あたりでは窖窯を大窯と呼び登窯を小窯と呼びます。すなわち浮窯は小窯であります。
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丑の歳渡り うしのとしわたり

『万宝全書』高麗焼物の部に「丑の歳渡り薬のかわり色々」とあります。対馬家釜山和館の窯で焼かれた御用品はまず江戸に送られて宗家の蔵に納まり、その他のものは釜山近辺のやきものと共に大阪・京都の市場に現われました。すなわち「延宝四年渡り」または「...
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飲流斎説甕 いんりゅうさいせつじ

ヨーロッパ第二の磁器工場で、1716年オーストリアの首都ウィーンに建設されました。技術はドイツのマイセンから導入され、べ。ガ一時代のマイセンの職長が来たこともあって、ウィーン磁器の質は最初から良好でありました。したがってその製品もマイセン風...