鈍太郎 どんだろう

marusankakusikaku
Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

原叟(久田宗全の子)手握ねの楽焼茶碗。黒。
1721年(享保六)の江岑五十回忌に五十個つくったうちの第一等品。
所望者が多かったので籤引をしたところ、名古屋の高田高陽(通称鈍太郎)に当たりました。
狂言に鈍太郎という者が上京の妻と下京の妻に引っ張られて当惑のあまり坊主になるという話がありますが、籤を引き当てた者がまた通称鈍太郎というのも奇縁であります。
この茶碗は非常に大振りで一見鈍重なものであります。
高陽はこれを手に入れて大いに喜び、これより自ら太郎庵と号しました。
のち京都の栗田天竺、尾張の岡谷家、名古屋の横井敬甫に相伝し、最後に東京の益田孝に譲られました。
孝はこのため品川御殿山に新たに太郎庵の茶室をつくり自ら鈍翁と称しました。
(『本朝陶器孜証』『大正名器鑑』『茶道名物考』)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email