マイセン磁器 まいせんじき

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鶴田 純久の章 お話

十八世紀の初めドイツのマイセンにいた錬金術師ベッカーは、初めて中国磁器に似た硬質陶器をつくることに成功しました。
それは粘土に大理石を加えて焼いたもので赤色を呈しました。
ベッカーはさらに実験を進め、1708年ついに白色の磁器素地をつくり出しました。
1710年には王立のザクセン磁器工場が設立されました。
ヨーロッパ最初の磁器工場であります。
最初のうちの装飾はエナメルをもって飾られました。
ベッカーはさらに中国磁器に近づこうと努力したが1719年没しました。
あとを引き受けたヨハン・グレゴール・ヘロルトは一族と共に改良を進め、1725年には染め付けを完成することができました。
彼らはカオリンを知り、それに大理石などの石灰分を加えて素地をつくりましたが、石灰分はのちに長石に変えられました。
これらは厳重な秘密として守られていました。
この時モデルに利用されたのは中国磁器とわが国の有田焼であります。
これ以後のマイセンは十八世紀ヨーロッパの磁器をリードする立場となりました。
けれどもやがてヨーロッパ各地で磁器が製出されるようになりますと、マイセンの地位は相対的に低下してきました。
イギリスではここの製品をドレスデン製と呼び、フランスではザクスといい、ドイツではマイセンといいます。
一般にマイセンは王立工場でつくられたもの、ドレスデンは1770年以後他の小工場・工房での製品を呼ぶ名とされます。

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