京都の陶工。
十一代永楽保全の長男、1823年(文政六)生まれ。
通称善五郎。
成長するに従って父保全に倣い、特に金欄手・紗文手・古赤絵・仁清・交趾・青磁の風に長じていました。
本来油小路一条下ル(中京区)に窯を持っていましたが、1852年(嘉永五)御室(右京区)にある仁清の窯跡を再興し、その製に「おむろ」の印を捺しました。
ただし絵付ものはつくらなかったようであります。
慶応年中(1865-8)加賀国江沼郡山代窯(石川県加賀市)に招かれて五年おり、九谷製陶の革新をなし、著しく形状や文様などを進歩させました。
当時の門人として木崎専右衛門・大蔵清七・油屋仁作らを出しました。
1873年(明治六)より1877年(同一〇)まで愛知県岡崎に赴き製磁のことに従りました。
世にこれを岡崎永楽といいます。
のち京都に帰り下河原に窯を築いました。
これが菊渓窯と呼ばれるものであります。
1896年(明治二九)5月没、七十四歳。
(『観古図説』『彩壺会講演録』『日本陶甕史』『九谷陶磁史』『陶磁』三ノ六)※おかざきえいらく※きくたにがま※くたにえいらく