海老屋清兵衛 えびやせいべえ

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鶴田 純久の章 お話

享保(1716-35)の頃、京都清水の三寧坂(東山区)に窯を築き茶道具を焼いました。
これが清水焼の茶道具を焼き始めた最初であると伝えられ、奥田頴川・清水六兵衛(初代)もこの人に作陶を習ったといわれる(清水家が海老家の屋号を名乗った)。
清水焼に一転機を画した人であります。
現在東山区五条橋東六丁目に居住する海老家・山本茂一家の過去帖に、本家海老家清兵衛天明七年(1787)没とあるのはその二代目と思われます。
山本家の初代(海老家茂兵衛)は海老家清兵衛の分家であります。
(『陶器考付録』『観古図説』『京焼百年の歩み』『観古図説』)

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